【テレビの開拓者たち / 濱谷晃一】気鋭のドラマプロデューサーは「テレ東っぽさ」が武器?

2017/06/19 06:06 配信

ドラマ インタビュー

「テレ東でドラマをやるなら、普通からはみ出してるくらいじゃないと意味がない」


数々の個性的なドラマを手掛ける濱谷晃一氏。「バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~」は第92回ドラマアカデミー賞特別賞を受賞した


──レギュラー番組で初めてのプロデュースは?

「『愛のむち』('06年)という番組で、プロデューサーと演出を担当しました。沢村一樹さんとビビる大木さんが司会で、メインゲストの方には一切発言させずに、その人について周りの人たちが論じ合うというトークバラエティー。その周りの人として出演していたのが、マツコ・デラックスさんでした。当時はまだ、テレビは『5時に夢中!』(TOKYO MX)くらいしか出演されてなくて、MXさんに電話して連絡先を教えていただきました。初回だけのつもりだったんですけど、あまりにコメントが面白かったので、結果、全話出ていただくことに。マツコさんのキー局初出演は意外にもテレ東だったんです(笑)。

で、このころから『濱谷は面白いかも』って言ってくれる奇特な上司も現れて。それで、吉本の芸人さんが曜日ごとに司会を務める『スキバラ』('06~'09年)という枠で、ガレッジセールさんがMCを務める『ガレッジビレッジ』のプロデューサー、演出になりました」

──それが「ピラメキーノ」('09~'15年)につながるわけですね。

「『スキバラ』を1本の帯番組に集約することになり、曜日ごとに担当していた5人のプロデューサーで立ち上げることになりまして、先輩の佐久間(宣行)らがプロデューサーになり、総合演出に一番若手だった僕を抜擢してくれました。子供番組でしたが、優秀なスタッフたちと色々なコーナーを生み出すことができて、とても思い出深い番組ですね。その1コーナーとして『ざっくり戦士ピラメキッド』という特撮ドラマの監督もやらせてもらったんですけど、これが僕にとって初めてのドラマになりました。ドラマのルールを知らないスタッフで撮っていたので、『衣装合わせって必要なの?』『ドライって何ですか?』みたいに、まさに手探りでした(笑)」

──その後、「宇宙犬作戦」('10年)の監督を経て、『好好!キョンシーガール ~東京電視台戦記~』('12年)で、初のドラマプロデューサーを務めることに。

「そのころは、まだバラエティー班に在籍してましたね。無性にドラマが作りたくなり、当時はシナリオセンターに通ったりしてました(笑)。そして『キョンシーガール』をなんのツテもない川島海荷さんの事務所のレプロ(エンタテインメント)さんに持ち込んで…『脚本は誰ですか?』『僕です』『監督は誰ですか?』『僕です』みたいな(笑)。今、考えると赤面ですが、当時はドラマを撮りたくて必死でしたね。企画成立の背景には、当時のテレ東には『マジすか学園』('10年)というアイドルのアクションドラマの前例があったし、他局でも『妖怪人間ベム』('11年日本テレビ系)みたいなリバイバルブームもあったりと、いくつか要因はあったと思いますが、最終的には僕の熱意と上司の懐の深さで企画が通ったと思います。当時の上司に『テレ東でドラマをやるなら、普通からはみ出してるくらいじゃないと意味がない』と言われて。だったら好きなものを作ろうと。でも、まあ、それがキョンシーって(笑)」

──テレビ局のドラマのプロデューサーが脚本・監督まで務められるケースは珍しいですよね。『キョンシーガール』に関しては、主題歌の作詞まで担当されて。

「作詞しましたね~(笑)。テレ東では基本的に社員は監督をしません。ましてや脚本なんてありえないことで。プロデューサーは本打ち(台本の打ち合わせ)もあるし、他の番組と掛け持ちの場合も多いですから。ドラマ部に異動したばかりのころ、全話の脚本と監督もやりたいですと言ったら、『おまえはドラマを分かってない!』って怒られたのを覚えてます(笑)」