――撮影隊はほぼ現地の方だったのですか?
そうですね。日本の方とタイの方、そしてフランスの方、メインでラオスの方たちがいて、多国籍な現場だったので、コミュニケーションが大変でした。みんな英語がペラペラだったらいいんですけど、意思疎通も容易ではなく、通訳さんの取り合いのような感じになったこともありました(笑)。
――現地の言葉は覚えられましたか?
はい。セリフも基本的にラオス語だったので、日本語で言葉を覚えて撮影の1カ月前から現地入りしました。ラオス語を自分のものにしようと思っていましたので、現場に入るころには簡単なコミュニケーションを取れるくらいになりました。ずっとネーティブの言葉を聞いていたおかげですね。
――メコン川に落ちるシーンもありましたけど、あれは大変そうですね。
ありましたね! あの川にはヒルがいっぱいいて、溺れた後に川辺にもたれるシーン、実は足にたくさんヒルがついていたんですよ。ブーツを脱いだら中からいっぱい出てきて、ビックリしました(笑)。
でも、川での撮影はスタッフさんも細心の注意を払ってくださったので、怖さはなかったですね。ラオスの方々は川に落ちても余裕で泳げるんですよ。すごいですよね!
――ノイ役のティダー・シティサイさんの印象は?
彼女のことは、ずっと愛称の「トゥー」って呼んでいました。年下の女の子だし、仲良くなるのは難しいかなと思っていたんですけど、すっごくフレンドリーに接してくれました。
僕は日本人だし、何とかしてやろうって思ってくれたのだと思うんですけど、すごく気にかけてくれて、何度も一緒にご飯を食べに行きました。
それに、メークさんも以前からトゥーの友達だったらしくて、よく3人でピザを食べに行ったり、撮影がない日も3人でどこかに行ったり、気にかけてくれたおかげで、スムーズにコミュニケーションが取れました。
――お食事について気になるのですが、衝撃を受けた料理はありましたか?
現場では、日本人のスタッフさんもいたので、食事を用意するラオスの人たちも、気を使ってくださっていたので、それはありませんでした。ただ、僕が一足先に言葉を勉強するため、10月に現地に行ったとき、農場のような所に一カ月間住み込みでホームステイをさせてもらったんです。
そこでは、完全にラオスの人たちと生活を共にしていたので、農場の近くにある池で魚を釣ってそれを焼いて食べたり、カエルを食べたりしました。それは大丈夫だったんですけど、ある日、丸い虫の串焼きが食卓に出たんです…。
最初何の虫か分からなくて、何だろうと思って見ていたら、突然ハネが開いたんですよ。これは無理! 絶対に無理!と思って、唯一食べられなかったですね(笑)。
あとはパパイヤのサラダも、日本のタイ料理屋さんで出るようなのと違って、すごく辛かったです。3時のおやつで手に持って食べたら、とても舌が痛くなりました。
――特に印象に残っている場面はありますか?
僕が好きなのは、川井がリコーダーを吹いて、みんなを和ませるシーンです。川井がみんなに影響を与えたシーンなんじゃないかなと思っているのですが、あまり冷めた目で見られると僕の立つ瀬がないので、あそこは温かい気持ちで見てほしいです(笑)。
――何を吹くんだろうと思ったら、まさかの…(笑)。
本当ですよ! 僕も何を吹くんだろうって思っていたら、まさかの…(笑)。
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