きっと良くなる。/小林私「私事ですが、」

2023/04/01 20:00 配信

音楽 コラム 連載

イラスト:小林私

美大在学中から音楽活動をスタートしたシンガーソングライター・小林私が、彼自身の日常やアート・本のことから短編小説など、さまざまな「私事」をつづります。今回は、ある男の「ゾッとする体験」を綴ったショートストーリーです。

俺はどこから間違えたんだっけ

ぬかるんだ地面をずるずると音を立てながらもタイヤは駆動し続けている。
ずっとアクセルを離そうとしているのに足が動かないし、ハンドルを切ろうとしているのに手も動かない。
自由なのは思考と目蓋だけで、時折開けては真っ暗な森の景色の変わらなさに絶望する。

俺をこんな計画に連れ出した元凶の男も助手席で動けずにいる。きっと俺と同じ状況なのだろう。時折、助けてくれとでもいうような目と目が合う。俺も同じような顔をしているだろう。後ろに座ってる二人も、多分。

確かに金は無かった。でも時々日雇いのバイトを入れながら、時々ボロアパートの家賃を待ってもらいながら暮らしていれば、もう少し長生き出来たはずだ。未来は限りなく無かったが、明日と呼べるものは辛うじてあった。きっと。
一時の欲に目が眩んだ。チャンスとか一発逆転だとか、希望と呼ぶには細すぎる蜘蛛の糸もあの時は黄金のように輝いて見えた。

大した計画じゃなかった。山奥にある古い屋敷に住む老夫婦と幼い孫娘をやっちまって、隠してあるとかいう遺産をいただく。遺産の噂は本当だった。ぼろぼろの玄関をぶっ壊して老いぼれた夫婦を殴って気絶させて、いや、それきり動かなくなったから、その時にはもう死んじまったのかもしれないが。くたびれて傷んだ金庫をこじ開けたら、物語で見るような現金と純金と少しの宝石、これで俺達の人生はきっと良くなるはずだった。

問題は、残った孫娘のことだ。

老夫婦が最後まで大事そうに抱えてた写真に写ってた。子ども一人でこの山を降りられるとも思わなかったが、万が一がある。だが口封じのために屋敷のなかを粗方探してもいなかった。それから、誰が言い出したのか忘れたが、そいつはもう死んでるんじゃないかって。確かに、線香こそあげちゃいなかったが、位牌のようなものも見た気がする。何より俺達はさっさと屋敷から出たかった。逃げたくなったんじゃない。早く希望へと向かいたかったのだ。

戦利品をトランクに詰め込み、俺は運転席に乗り込んだ。行きとは違う。疲労を鑑みて事前に決めていたことだ。辺りは来た頃よりも更に暗くなっていて、ライトを点けても目の前の道がうっすら見えるだけだった。とはいえ来た道を引き返すだけだし、そのルートも多少険しいくらいで単調な一本道だったから、何も言わずエンジンをかけて走り出した。

今思い返すと、途中からおかしかった。車を走らせて10分ほど経った頃か。後ろから暴れるような音が聞こえた。俺と助手席の男は、初めははしゃいでふざけているのだと気にも留めなかったし、バックミラーに目をやっても暗くてほとんど見えなかったから、しばらくは無視して、金の使い道なんかを悠長に話していた。

ハッキリと異変に気付いたのはそれから30分は過ぎてからだ。本当ならもう山を下りていてもおかしくないはずの時間が経っているのに一向に進んでいる感じがしない。タイヤが空回りしているわけでもない。

「...おい、なんかおかしくねえか?」

俺が言葉を発することが出来たのはそれが最後だった。突然息が詰まるような感覚がして、声が出なくなった。変だ、絶対変だ。瞳だけをなんとか動かして隣を見ると同様の状況らしい。パニックになっていると、真っ暗なバックミラー越しに誰かと目があった。同乗している二人がいるであろう席の間に、見えないはずの位置に人がいる。写真で見た孫娘だ。叫ぼうとしても声が出なかった。少女は笑っているように見えた。車を止めようとした頃にはもう体は動かなかった。

俺はどこから間違えたんだ

きっと少女は俺達を生かしてはくれないだろう。走り続けて木にぶつかって死ぬのか、谷底にでも落ちるのか、一生この山の中に囚われ続けるのか。

もう眠ろう

何もかも諦めて目蓋を閉じた矢先のことだった。
激しい閃光とけたたましい音で目が覚めた。体が動く!目の前には大型トラックが対向でクラクションを鳴らしていた。車も気付けば停まっていた。
気を失っていたらしい助手席の男を叩き起こし、慌ててハンドルを切ってアクセルを踏み直して帰路についた。帰るまでの記憶は、もう無我夢中で覚えていない。許されたんだと言い聞かせる他なかった。

出発地点でもあった男の家に戻ると、誰彼ともなく奪ってきた金品を捨てる提案をした。幸いに四人とも生きて帰ってきたのだ。それ以上はもう、何も望めなかった。
ビニール袋を二重三重にして捨てたら、とてつもなく腹が減っていることに気付いた。コンビニの明かりは眩しくも温かい気がした。
いくら入ってたかな。なんとなく財布の中身を確認し、絶句した。記憶にない、小さく、くしゃくしゃになった紙。まるで子どもの手で強く握り締められたかのように。恐る恐る開くと、あの写真だった。
慌てて顔を上げると三人ともと目が合った。
俺達はまだ許されていない。

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