声優としてTVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』などに出演、さらに映像作品や舞台俳優としても幅広く活躍する佐藤日向さん。お芝居や歌の表現とストイックに向き合う彼女を支えているのは、たくさんの本から受け取ってきた言葉の力。「佐藤日向の#砂糖図書館」が、新たな本との出会いをお届けします。
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普通ってなんだろう。
この仕事をしていると「〇〇ちゃんはこうなのになんで日向ちゃんは違うの?普通じゃありえないよ。」とファンの方から言われることがある。私が生きてきた中で普通だったことが異質扱いされる瞬間というのは何度経験しても言語化が難しい怖さがある。
今回紹介するのは寺地はるなさんの「かわのほとりに立つ者は」という作品だ。
本作はとある恋人たちの日記のような、はたまた走馬灯のような記憶を文字を通して辿るように描かれている。コロナ禍前に喧嘩した恋人が自粛で会えなくなり、彼が事故に遭って病院で再会するまで日々をのそれぞれが生活しているだけで生まれるぐちゃぐちゃした感情とともに丁寧に綴られている。
作中では自分と合わない性格の人を"個性"として受け入れるのか、その個性に名前がついたら「だって出来ないから仕方ないよね」と憐れむのか、過去の自分は勝手に憐んでいたのではないかと主人公が何度も気づきと後悔を繰り返している。
現代では医学が進歩した結果、さまざまな行動に名前がつくようになっている。でもそれは個性として受け入れてもらえる機会を奪ってしまっているのかもしれないと私は感じた。両親から受ける影響は誰だって大きく、私もその中の1人だ。本を読むと知識を得られることを教えてくれたのも頑張った分だけ努力が形として目に見えて残るものだと教えてくれたのも父だ。
私はこれまで知識を得ることを楽しみ、結果がついてくる努力することが当たり前だと思っていたが、ここ最近「努力する自分が偉いと自慢している」「少し知識があるからって偉そうにするな」とソーシャルメディアで言われることが増えた。直接ではなく大好きな文字から伝わってくるその言葉たちはとても怖い。そんなつもりは全くなく、これは私の個性だと思っていたが、それが傲慢だったのかもしれない。そんな風にぐるぐると色々悩んでしまった時期もあったが、本作と出会ったことで川の底に落ちている石は同じ形は一つもないのと同じよう、人の生き方も全く同じものはなく、生き方全てに理解を示すことは難しいし、それはとても疲れることだと気づけた。
何か行動を起こせばそれを違った意味合いで捉えられたり、偽善と言われることも増えてしまい息をすることすら苦しい時がたまにある。さまざまなコミュニケーション方法が増えた今だからこそ自分の言動を理解してもらうのはとても難しいけれど、相手を理解し、相手に理解される努力は諦めたくない。人と違うのは悪いことと認識されがちだが、私はそれは個性だと捉えているし、自分の人と違う部分も自分自身が愛してあげたいと思っている。
今の私が求めていた文章が本作にはふんだんに詰め込まれていた。どれだけ嫌な気持ちになったとしても「あなたにとって明日がよい一日になりますように」と思えるような自分になれるよう、私はマイクの前で、舞台の上で、そして日常で言葉を丁寧に紡いでいけたらと思う。自分を「川のほとりに立つ者」だと思う方、そしてその川に沈んでいる石だと思う方に是非読んでみてほしい。
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