大ヒット映画「シュリ」から20年 第一線で活躍続ける韓国俳優ハン・ソッキュとは?<浪漫ドクター キム・サブ3>

2023/05/14 11:10 配信

ドラマ コラム

「何が何でも患者を救う」がポリシーの“真の医師”、キム・サブ「浪漫ドクター キム・サブ3」(C)SAMHWA NETWORKS & STUDIO S. All rights Reserved.


ミュージカルに感銘を受け、俳優を志す


ハン・ソッキュは、1964年11月3日生まれ。大学生の時にはTV局主催の歌謡祭で奨励賞を受賞、主演映画「8月のクリスマス」で主題歌を歌うほど歌が上手い。少年時代から歌が好きで、合唱団で活動したりして音楽の道に進みたいと考えていた。

だが、16歳の時にミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観て、俳優を志す。「生涯初の芸術的経験でした。このすごい経験を、私も誰かに見せたくて、俳優になろうと決心したんです」と語る。

大学でも演劇を学び、ミュージカル俳優を夢見て、いくつもの劇団の戸を叩いたが、どこでも事務室の掃除や雑用しかやらせてもらえず先の見えないつらい日々を過ごした。

しかし、1989年にTV局の専属声優に。俳優ではなく声優の試験を受けたのは、「自分のような平凡な外見ではタレントになりにくい」と思ったのと、兵役中にケガをした腰が治らず、体をたくさん動かす俳優の仕事は大変そうだと判断したからだった。ラジオドラマで活躍しながら、正確な発音と発声を鍛えられ、後に大いに役立つ事となった。

その後、TV局のタレント公開採用試験を受けて合格。1991年、遂に俳優の道を歩き出した。いくつものドラマで端役を演じた後、重要な役で出演したドラマ「息子と娘」が視聴率60%超の大ヒットとなり一気に人気者になった。

人気の波に乗り映画に活躍の場を移し、出演作は全て大ヒット。1997年公開の「接続 ザ・コンタクト」は、「接続シンドローム」という言葉が生まれるほど社会現象化し、その後の韓国映画発展の起爆剤となった。

そして1999年公開の「シュリ」は、当時の韓国での最高興行記録を打ち立てた。翌年、日本でも公開されて異例の大ヒットとなり、韓国映画に関心が向けられるきっかけとなった。

出演作を決める際は脚本を最重要視


彼は出演作を決める際、脚本の内容を最重要視する。「キム・サブ」の出演を決めたのは「人は何の為に生きているのか、道に迷った多くの人々に暖かい慰めになるように」という企画意図に賛同したからだそう。

「それが今この時代に、最も必要な“浪漫”だと思います。“私はなぜ演技がしたいのか”と自分に問いかけ、“私が感じた、人間の美しさと醜さを、私の体を通じて見せたい”と思いました」

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「演劇の3要素は、脚本、舞台、観客、そして仲間」


「自分の演技に満足する瞬間は永遠に来ないだろう」と言うハン・ソッキュ。「絶え間ない試行錯誤、ミスと挫折を繰り返しながら、望む演技に一歩ずつ近づいていく」と語っている。

そして「演技で重要なのは相手に対するリアクション」と言う彼は、「キム・サブ」の共演者たちとのチームワークの良さが気に入っているそう。

「“演劇の3要素”は、脚本、舞台、観客だそうですが、私は“仲間”も追加したい。3年ぶりに“トルダム医院”のメンバーに会えて嬉しいし、みんなの顔を見るだけでも微笑ましいです」と気の合う仲間たちとの共演を楽しんでいる。その絶妙なケミストリーが画面からも伝わり、今回の「3」も期待を裏切らない面白さで視聴者を魅きつけている。

◆文=鳥居美保/構成=ザテレビジョンドラマ部

S2のメンバーはS3でも活躍。チームワークの良さにも注目「浪漫ドクター キム・サブ3」(C)SAMHWA NETWORKS & STUDIO S. All rights Reserved.