ちなみに気になるのは、資金面の問題。エベレストを例に挙げれば、入山料は800万円で、そこにガイド料や装備、食費なども合わせるとおよそ1000〜1500万円が必要となる。お金に相当余裕がない限り、個人ではなかなか捻出できない金額だ。
実際、野口は若い頃は日本山岳会や大学山岳部などの団体が多く、個人の冒険家はごく少数。スポンサーがつかなければ到底費用が足りないため、野口もスーツを着て日本中の会社を回った。当時は年間136もの企業・業界の有力者に「七大陸最高峰を世界最年少でやりたい!」と手紙で熱意を伝え、必死で資金を集めたそうだ。
しかし、登山服に大量のワッペンをつけた野口は世間からバッシングを受けることとなる。「プレッシャーで判断がミスるんじゃないか」という声もあった。だが、野口の考えはむしろ逆。見える位置にスポンサーのワッペンをつけることで、「俺が死んだらスポンサーが批判される」という意識になり、無茶な判断を止めるブレーキになったという。
そうしてスポンサーからの援助を受けながら、数々の偉業を達成していった野口。2008年には世界初のエベレスト清掃活動も称えられ、第12回「植村直己冒険賞」を受賞した。エベレスト清掃活動は2000年頃からスタートし、酸素ボンベなどの登頂道具・食品包装・排泄物などの推定約50トンあると言われているエベレストのゴミのうち、7.7キロを回収。そこには、日本のゴミも散乱していたそう。
実は当時、世界で最も汚い山は富士山と言われており、野口は海外の登山家から「お前ら日本人はヒマラヤをマウントフジにするのかい」と皮肉を込めて言われた経験があるという。それもあって、野口はエベレストと富士山の清掃を始めたのだ。富士山に至っては地元のNPO法人と協力し、850トン以上のゴミを回収した。その成果として人々の意識も変わり、今ではむしろゴミを探すのが難しいほどに見違えるほど綺麗になったという。
2022年には、野口の元マネージャーで山岳ジャーナリストの小林元喜が執筆した『さよなら、野口健』がその年の「ノンフィクション本大賞」にノミネートされたことが話題に。そこには、「(野口健は)登山家としては、3.5流」という驚くべき一文が書かれていた。しかし、3.5流と言われた当の本人はあっけらかんとしており、「清掃登山などの色んな活動は山岳界からしたら評価が高くないんですよ」と語る。
結局は目指すものの違いで、野口は前代未到ルート達成の偉業よりも山の楽しさや大切さを伝える活動に命を燃やしてきた。山の清掃だけではなく、募金を集め、ネパール・サマ村に学校と宿舎を建設したり、熊本震災テントプロジェクトを立ち上げ、テント村を開設するなど、その活動は多岐にわたる。
そんな野口は「なぜそこまで頑張れるのか」という質問に、「生きる死ぬギリギリでエネルギーをもらっている」と答える。死を身近に感じることで、生への執着心や喜びが強くなるというのだ。しかし、日本に帰ってくると最初のうちは何気ない生活のありがたみを感じるものの、だんだん刺激がなくなってきて、山にまた登りたくなってくるという。「ほとんど病気」「でもつくづく思うのは山は登るものじゃなく、眺めるものだね」など、番組中は野口らしいユーモアのあるセリフが次々と飛び出した。
最後に野口は自分が思うかっこいい大人について、「若い人より若い大人」と回答。その例をしてあげたのが、80歳でエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎氏の名前だ。彼はいつも遠足に来ている子供みたいで自分よりも若く感じられるという。「そういう若い大人を見ると若い人が頑張ろうと思える」と野口は語った。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)