【弱さ】と【強さ】の中に見えた人間らしさ/夜道 雪のBlowin' the Night wind!#16「とあるアンチと私の物語」

2023/06/24 19:00 配信

アニメ 連載

【弱さ】と【強さ】の中に見えた人間らしさ/夜道 雪のBlowin' the Night wind!#16「とあるアンチと私の物語」撮影:近藤宏一

声優、YouTuber、モデル、コスプレイヤー、そして2022年7月からは自身名義での音楽活動も。「マルチタレント」を掲げ、さまざまなジャンルで活躍する夜道雪(よみちゆき)のコラム連載、「夜道 雪のBlowin' the Night wind!(夜風に吹かれて!)」では、地元・北海道から上京し、現在の「表現者・夜道雪」が生まれるまでの道のりを、「夜道節」で綴っていきます。

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「私はアンチもファンも大好きなんだよ
もちろんファンの方が何百倍も好きだけど、アンチも好き
私もアンチもお互いの事を気になっちゃってんだからむしろ両思いだよね」

先日、このようなツイートをした。覚えている人もいるかもしれない。
もちろん私は、批判や非難や罵詈雑言を見て悦ぶ性癖ではない。筋の通った批判はまだしも、不要不急の揚げ足取りや容姿体型その他への理不尽な言葉は、当然ない方が望ましいと思っている。でも、前述の「アンチもファンも好き」というのは嘘偽りのない率直な気持ちである。

では、なぜこれをつぶやいたかというと、アンチとの向き合い方を考える1つの出来事があったからだ。

今回は、とあるアンチと私の物語。

正確にはいつからなのかもう覚えていないのだが、ふと気がついたときには既に自分の名前でエゴサーチするとアンチツイートが出るようになっていた。

気づいたのは16〜17歳くらいの頃だったと思う。当時の私はといえば、とにかく心に余裕がなかった。そのためアンチツイートが気にならない訳がなく、心無い言葉に毎日のように憤怒してリミットゲージを溜めていた。
蓄積された怒りは時として私の言葉を鋭くし、苦言を呈されることもあった程だ。
ちなみに、アンチの内容は主に私に関する虚偽の風説や、私の顔を不細工に加工した写真などである。
中でも、とあるアンチ(以後Aとする)は1人で複数のアカウントを操っていた。Aは私を攻撃するツイートを連発し、複数のアカウントでたちまちそれは拡散され話題となった。
目立つアカウントだったため、古くからのファンの中にはAのことを記憶している方もいるのではないだろうか。
瞬く間に増えていくリツイート。その間にもAによる中傷は止まない。両面攻撃である。
見えない人達から、嫌でも目に入ってくる攻撃の数々を受け続けた私は、文字通りボロボロに傷ついていった。

「本当の私自身なんて誰も興味がないんだな」
「だって根も葉もない噂話が勝ってしまってるじゃん」
「もう何言っても私の言葉なんて届かないし」
「意味ないよね」
「こんなに見ず知らずの沢山の人に嫌われてるんだもんね」
「もういなくなった方がいいよね」
「生きてる価値ある?」
「こんな日々が続くなら生きてて楽しくないし」
「楽しくない人生に意味ある?」
「あ、私が死んじゃえば少しは反省してくれるのかな」
「するわけないか」
「どうせ私が生きてるか死んでるかなんてどうでもいいもんね」

いつの日にか私は、常に【死】をイメージするようになった。これまでにも辛いことは多々あったけれど、ここまで【死】と隣り合わせになったことはなかった。
目を閉じればまぶたの裏に、歩けばすぐそこの曲がり角の奥に、雨粒に、紫外線に、そこかしこに【死】の息吹を感じるようになった。

それでも私は生きた。数年に渡ってデジタル世界の刃に斬られ何度も倒れながら、生かしてもらった。ひざから崩れ落ちて倒れた私の手を、みんなが取って立ち上がらせてくれた。そして肩を支え、背中を押してくれた。ファンのみんなの愛が、私を何度でも蘇らせてくれた。
そうやって何とか活動を続けていたある日、ふとAからの中傷が止まっていることに気がついた。Twitter自体も更新されていなかった。
一旦止まったとはいえ、一時的なものかもしれない。いつまた誹謗中傷と言う槍の雨が降り始めるかわからない。安心なんてできない。終わりかどうかすらわからない。そんな恐怖を抱えながら過ごした。

そして2020年。私が20歳になった頃のこと。
Aのアカウントの1つから突然DMが届いた。

実際の文章のやり取りを掲載しようと思う。

【写真】とあるアンチAさんからの謝罪DM※本人提供画像

とあるアンチAさんからの謝罪DM その2※本人提供画像

は?

何?

スマホを持つ指先が震え、体内の血液がマグマのような音を立てて体の中を上昇してくるのがわかった。

一体、何のつもりで、こんなメッセージを、送ってきた?

数年に渡って私を攻撃し続け、自殺を考えるまで思い詰める原因となった人物からの、唐突な謝罪。何それ。理解できない。
わからない分からない判らない解らないワカラナイッ!!!!

やがて、私にとってはそれは何か大きな釣り針のように思えてきた。
これに食い付いたら、またネット上に晒しあげられるのかもしれない。ノーダメージを装っても、ブチギレても、揚げた方の足をとられて拡散されるかもしれない。

しかし。この数年間、Aに好き放題言われ続け、それに対して有効な打開策も示せないまま過ごしてきた私に、大人のように黙って見過ごすと言う選択肢は選べなかった。それどころかこのアンチに「一撃でも喰らわせたい」という気持ちがわいてしまった。速まった心拍数に急かされるように返信を書き、今までにないくらいの力で送信ボタンを押した。

【こんにちは。夜道雪です。
あなた(A)がいくつかのサブ垢を動かして誹謗中傷の他に、私のリアルの友人のインスタやTwitterを監視していたことも知っていました。
そうやって私のプライベートな情報や過去を詮索し、不特定多数に広めようとした行為も確認済みです。
数年もの間、あなたのツイートにどれほど、どれほど、どれほど怒り狂い、泣き喚いたことか。誹謗中傷のみならず、私の写真を酷く加工してツイートするなどの営業妨害行為もしてくれましたよね。引退を考えたことも数えきれません。

正直、あなたのことを法律事務所に相談したことも何度もあります。
けれど、訴える直前で何度もキャンセルしました。何でかわかりますか?
それは、もしかしたらあなたの人生が思うように進んでいないかもしれないと考えたからです。
私はあなたに誹謗中傷や営業妨害をやめてほしかっただけで、あなたの人生を壊したいわけではないからです。
私は、今現在もあなたからの謝罪を求めてるわけでもなく、慰謝料を請求したいわけでもなく、社会的制裁を与えたいわけでもありません。
私の願いは、あなたが人として正しい行動をとることです。】

とあるアンチAさんからの謝罪DM その3※本人提供画像


彼女の行いによって傷つけられた私の心は癒えることはないし、彼女には到底理解もできないだろう。
だが私も同じく、彼女の悩み、傷、葛藤を理解することはできない。
哀しみも人それぞれ、100人いたら100通りの形と重さがある。同じ場所で転んで同じ箇所をケガしたとしても、痛みは人によって異なる。彼女もまた苦しみ、苛まれていたのだろうと私は思った。

【あなたの後悔や反省の気持ちがとても伝わりました。1児の母親となったことであなた自身が成長したことも。
もし直接謝罪をさせてほしいというのであればお受けいたしますが、私としてはあなたの正直な想いが十二分に伝わりましたので、もうこれでいいかなと思っています。
話しにくいこともあったかもしれませんが、包み隠さず全て話してくださってありがとうございます。
ありがとうございます】

とあるアンチAさんからの謝罪DM その4※本人提供画像

とあるアンチAさんからの謝罪DM その5※本人提供画像


【あなたのTwitterからなんとなくではありますが、○○にお住まいなこと、小さいお子さんがいることは感じられていたので、嘘偽りなく正直に打ち上げてくれたんだなと信じることができました。
正直に言えば、これまでのあなたは私にとって憎悪と怒りの対象でしかなかったのですが、自らの誤りをすべて認め、誠心誠意謝罪してくださったあなたを今では尊敬しています。
なぜかというと、大人になってからそれができる人はなかなかいないと思うからです。
本当にありがとうございます。

お手紙も読ませて頂きますが、育児で大変お忙しいと思いますので、ご無理なさらず。あなたのペースで大丈夫ですからね。
お待ちしています。】

〜〜

とあるアンチAさんからの手紙※本人提供画像


このやりとりの後、本当に事務所宛に謝罪の手紙が届いた。
事務所のスタッフも当然手紙を確認するのだが、実際にこれが届いた時は「いやあ、よくここまでしてあげるね。」と驚かれたものだ。
まあ言われてみれば、アンチに対して(自分なりに)しっかりと向き合うことは一般的には珍しいのかもしれない。それでも、アンチ行為をしてきた当人が深く反省してこれ以上しないというのならそれで終わり、で良かったとは思う。

ただ私は、自分の過ちを隠す事もなく改心し真摯に謝罪してくれた彼女に尊敬の念を抱いた。
もちろん、懺悔なんて自己満足の一環で、傷ついた人の心は元には戻らないと言う人もいるかもしれない。99%はそうなのだろう。
それでも、仮に自己満足だったとしても、自分の弱さ、生い立ち、誹謗中傷するにあたった経緯まで全てをさらけ出し、嘘偽りなく話してくれたことは尊敬に値するのではないか。できれば当人にとって思い出したくないこと、文字に起こしたくないことだってあっただろうから。

アンチ活動に関しても、何事もなかったかのようにTwitterアカウントを消し、自分の人生から【誹謗中傷をしていた時期】そのものを抹消してネットの闇に紛れるのがAにとって一番楽な方法だったはずだ。しかし、彼女はそれを選ばなかった。私が彼女と向き合ったように、いやそれよりも先に、彼女は自身の闇と向き合うことを選んだのだ。だから私は、尊敬の念がわいたのだと思う。

そして、もし彼女がインターネットという次元の狭間に全てを捨てていたら、私はいまだにAのことを憎んでいたに違いない。ひょんなことから思い出しては、腹が立ち、悔しくて泣いて、枕を殴っていたかもしれない。はらわたも何度煮えくりかえっていたか想像もつかない。またいつか攻撃されるという恐怖でおちおち眠れていなかったかもしれない。

でも今の私は、彼女のことが大好きである。

もちろんこれは、アンチ活動を許容したという意味ではない。誹謗中傷、虚偽の風説、その他ありとあらゆるアンチ活動を私は認めたくないし、許すことはない。
私が好きだと言ったのは、過去や現在の苦しみから逃れるべく、心の均衡を保つべく誹謗中傷をしてしまった自らの【弱さ】と真正面から向き合い、すべての過ちを認め、相手に伝わるほどの誠心誠意を以て謝罪をしたという彼女の【強さ】に対してなのだ。
そしてその【弱さ】と【強さ】の中に、彼女の人間らしさを垣間見たのでる。

ちなみに、この一連のやりとりを通して彼女を許せたことは、私の心から大きな枷を外してくれたように感じた。泥のようにまとわりついた黒い感情が洗い流されていったかのようだった。もしかしたら、私自身が少し強くなれたのかもしれない。

最後に、Aは私にこう書いた。

「今更ですが、私はアンチになる前からずっとあなたのファンだったんだと思います」

そっか、ずっと私を気にかけてくれてたんだね。
ありがとう。

私はこれを書いている今も、そしてこれからも、彼女が元気で幸せに暮らしていることを心から願っている。

とあるアンチAさんからのメッセージ※本人提供画像

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