【テレビの開拓者たち / 樋口卓治】売れっ子放送作家が「テレビもまだ捨てたもんじゃない」と思った番組とは?

2017/07/09 16:30 配信

バラエティー インタビュー

ぴったんこカン・カン」(TBS系)、「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)、「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」(テレビ朝日系)といった長寿番組のほか、数多くのバラエティー番組を手掛けている放送作家の樋口卓治氏。1989年に芸能プロダクション・古舘プロジェクトに入社して作家活動をスタートさせた彼は、古舘伊知郎をはじめ、タモリ、明石家さんまらと仕事をしてきた自らのキャリアを振り返り、「憧れていたタレントの“輪”に入ることができて、とても恵まれていた」と語る。近年は小説の執筆も手掛ける彼に、放送作家として今現在抱いている率直な思いを語ってもらった。

キャリアの最初で古舘伊知郎さんと出会えたことは本当に大きかった


ひぐち・たくじ=1964年10月22日生まれ、北海道札幌市出身


──樋口さんが、初めて携わった番組は何だったんでしょうか?

「僕が放送作家になったのは、古舘プロジェクトに入ったのがきっかけなんですけど、それはどうしてもテレビの裏方の仕事をやりたいといった理由からではなく、たまたま募集をかけていたから、たまたま応募しただけなんです(笑)。古舘プロジェクトの方針が、古舘伊知郎さんの周りにブレーンをつけようということだったんですが、そこで集められたブレーンが、いわゆる放送作家と呼ばれる人たちで、僕も運よく、その末席に加えてもらったということですね。

僕が入社した年が、ちょうど古舘さんが『F1グランプリ』(1987~2011年フジ系)の実況を始めた年で。そこで、事前にF1関係の雑誌を片っ端から読んで、使えそうなネタを集めて整理して古館さんに渡す、という雑用係が僕の初めての仕事でした」

──古舘さんと仕事で関わってみて、いかがでしたか?

「今でも役に立っているなと思うのは、古舘さんの“物事をフレーズ化する”という感覚です。アイルトン・セナのことを『音速の貴公子』と呼んだり、レースの途中でリタイアしたマシンを引き上げている様子を『カジキマグロ状態』と例えたり。そんな風に、視聴者により分かりやすく、より面白く伝えようとする古舘さんの言葉のセンスは、自分の肌に合ったし、すごく影響を受けましたね。その意味でも、キャリアの最初で古舘さんと出会えたことは本当に大きかったと思います」

──古舘さんと言えば、昨年春に「報道ステーション」(テレビ朝日系)を離れ、現在、「フルタチさん」(フジ系)や「トーキングフルーツ」(フジ系)、「人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!」(NHK総合)など、再びバラエティー界で活躍されています。

「僕が言うのもおこがましいんですが、今はまだ“様子見”の段階なんじゃないでしょうか。ご本人もよく『「報道ステーション」のときは、報道の水に慣れるまで2、3年掛かった』と言ってますけど、今は『今どきのバラエティー番組の作り方に慣れるまで、ひとまず一通りやってみよう』という感じなのかなと。大きな水族館からやって来た魚が、新しい水族館の水槽で泳ぎ方をいろいろ試しているところ、というか。バラエティーの水に慣れてピチピチ動き出したら、古舘伊知郎ならではの面白い企画が、本人からも、僕たちブレーン側からも、もっといろいろと出てくるだろうと思っています」