そして、ドラマは再び2021年5月の「明日のたりないふたり」の会場に。この日も台本が無く、ぶっつけ本番。“漫才”というより、魂のぶつかり合いで、「若ちゃんと最高の最後の時間を過ごし」、「山ちゃんと底の底を見せ合い」、情熱が溢れ返った2時間だった。2時間ノンストップの漫才の最後は、2人揃って「あー足りなくて良かったぁ」だった。
全て出し切り燃え尽きて椅子に座る2人は、サプライズで登場したクリー・ピーナッツ(かが屋)の「たりないふたり」の生パフォーマンスに、胸を熱くした。そして、舞台袖に戻った途端、若林は過呼吸で倒れて救急車で運ばれた…。この事は数か月後に若林が告白するまで、公にはされなかった。
ドラマは、この解散ライブで終わるのかと思いきや、2023年に飛び、ドラマの発表、そして2人を演じる高橋海人と森本慎太郎とのご対面シーンとなった。どっちも高橋と森本なのだが、何の違和感も無く「若林と山里が、高橋と森本に会った」と、このトリッキーな演出を受け入れて観ていた。これは、彼らが若林と山里に完全になりきっていたからこそ成立した演出だ。一歩間違えば、ドラマの世界観が崩れてしまう。元々、南キャン、オードリーの漫才シーンも、芸人ではない彼らに再現は難しいだろう、とさせる予定ではなかった。が、あまりの憑依ぶりに、「これは出来るのでは…」となった事と、本人たちもやりたがった事で実現。どちらの漫才も神がかり的な再現となったのだった。
そして、ドラマはさらに、「オードリーのオールナイトニッポン」で、若林と春日がドラマの感想を言い、山里がオンエアを観ながらリアルタイムでTwitter連投し、若林が撮影現場に差し入れを持参してナイスミドルに会い、「不毛な議論」に森本がゲストでやってくる…本当につい最近のところまで再現したのだ。ある意味「撮って出し」状態を逆手に取ったとも言えるこの展開は、観ているうちに現実と虚構の区別がだんだんつかなくなり、「脳がバグった」とつぶやく視聴者が続出した。
ラストシーンは、局の廊下を「漫才したいなぁ」とつぶやきながら別々の方向から歩いてきた2人が、エレベーター前で出会い、無言でエレベーターが来るのを待った後、同時に乗りこんで、ぼそっと「お疲れ」と言って、ドアが閉まる。盛り上がるわけでもなく淡々としたエンディングが心地良かった。
だって、2人の芸人人生はまだ続いているのだから。「たりないふたり」は解散したが、2人の情熱、様々な条件、タイミングが揃えば、いつか復活することもありえる。そんな期待を持たせるように、番組終了直後に「たりないふたり」の公式Twitterに若林が「おい、たまごサンド 今から公園でどう? 文責若林」と約2年ぶりに書き込み、それに対して山里が「おい、カレーパン どこの公園だ? 文責 山里」とレス。だから、感傷的になる必要は無いのだ。
このドラマに対して、中盤からよく聞かれたのが「最初から観ればよかった」という声。出演者やモデルとなった人物に興味が無いから、と「食わず嫌い」していた層が、口コミや漫才の驚異的な再現のニュースをきっかけに見始めて、ハマっていったようだ。目標や夢があるが、うまくいかなかったり光が見えなくてもがいた経験があったり、今まさにそんな状態の人間には確実に刺さったドラマだった。そして、観てもいない外野の騒音などに動じずに、ベストを尽くして取り組んだスタッフと演者の情熱も、視聴者にはしっかり伝わり、胸が震える場面がいくつも生まれた。
ベタな表現だが「記録より記憶に残る」、そんなドラマだった。「初めて円盤(番組のDVD)買いたいと思った」など、何度も見返したい視聴者も多いようだ。そして、山里本人がTwitterで「明日からまた頑張れば13話以降がいつか見れるかしら…」とつぶやいていたが、「第13話」は高橋・森本から若林・山里にバトンタッチされて「本人出演」となって、もう「こっから」既に始まっている。私たちはリアルタイムでそれを見守っていき、たぶん「第14話」となる「たりないふたり」が復活する時を楽しみに待つのだ。
◆文=鳥居美保/構成=ザテレビジョンドラマ部
※高橋海人の「高」は、正しくは「はしご高」
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