――でも、トビオ、伊佐美(間宮祥太朗)、マル(葉山奨之)、パイセン(今野浩喜)は何となく軽いですよね?
「罪を背負ったからこその現実逃避でしょうね。だから、逃げる時にハイテンションになるというか。未成年だから、といえる大胆な行動なのかなと思います。事件の後、カラオケしている時に市橋(新田真剣佑)が死んだと聞いて全力で歌うとか現実逃避ですよね。ほかに思い切りベクトルを向けないと、精神が崩壊するんだと思います。そのために、罪と向き合うというよりも置き換える」
――置き換える?
「例えば、マルはお金で人が変わるんですよね。トビオにも伊佐美にもパイセンにも、そういう瞬間があります。睡眠欲、食欲、性欲という欲を自制できるか、負けてしまうか。つまり、4人はみんな大人の象徴なんです。これからみんながバラバラになるんですけど、そこで一番の敵になるのは自分というか。その部分は演じながら面白さを感じています」
――見る側にとって、そこは『僕やり』の魅力になりそうです。
「普段、思っているけど言わないことってありますよね。“あの人は嫌い”とか。大人になればなるほどそういうことは言えなくなるし、それが社会の一面だと思うんです。高校生というキャラクターを使って、人が心で思っていることを表面に出しているのが『僕やり』なんじゃないかなと。ただ……」
――ただ?
「それだけを描いていくと作品が重くなりますよね」
――なぜか、『僕やり』にはその雰囲気はありません。
「重さが求められるシーンはいいと思うんです。その分、みんなで笑い合うところは型にハマらずバンバンやろうと。ドラマなので描ける部分は限られますけど、すごく勝負をして攻めている作品だと思います」
――原作はかなり攻めていますが、ドラマも攻めの姿勢は崩さないんですね?
「出来ないことを無理に押し通す必要はないですけど、出来るかもしれないのにやらないで終わるのは嫌なので」
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