話題は、声優という職業の始まりになり、1960年代、テレビ局が開局されたものの、コンテンツがないと、海外の映画を借りてくることが多く、無声映画を流したり、字幕をつけて対応していたものの、当時は電波の影響か、字幕の濁音や半濁音が飛んでしまうことが多く、そこから吹き替えに移行するようになったと語る。
そして、始まった吹き替えの仕事では、羽佐間も所属していた新協劇団の研究生が多く起用されるも、先輩俳優からは「声優?人の演技に声を当てる?それは人格を犯しているんじゃないか」と言われ、「横目で見られていた仕事だった」と語る。「当時、将来的に声優という職業がここまで大きくなっていくって思ってましたか?」と尋ねた関に、羽佐間は「夢にも思ってない」と即答し、「声優なんていう職業が、これから大爆発して、ブレイクしてって、誰も思ってなかった」と声優が生まれた時代をふり返った。
加えて、滝口順平、熊倉一雄、若山弦蔵ら名だたるレジェンド声優たちとのエピソードや、羽佐間がこれまでたずさわってきた名作でのアフレコエピソードが次々と飛び出し、関は大興奮する。
また、吹き替えで心がけていることについて語った際には、俳優との呼吸をあわせるテクニックについて「極端に言うと脈拍をあわせる。その俳優の動悸をあわせると、自然と息もあってきて、いかにもしゃべってるように聞こえる」と極意を明かす。
そして、深い声優トークはあっという間に終わりの時間になり、最後に、後輩声優への思いを語った羽佐間は、「僕らも若い人から学ぶってことをしないとダメなんじゃないかって。若い人のほうがホームランを打てるんだから」「若い人にはかなわないんだよ」と若い世代にも敬意を向けると、関は「羽佐間さんの若々しさはそこにあったのかもしれないですね」と大感激していた。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)