美大在学中から音楽活動をスタートしたシンガーソングライター・小林私が、彼自身の日常やアート・本のことから短編小説など、さまざまな「私事」をつづります。今回は小学生の頃の体験について想いを馳せています。
小さい頃に「あの子とは遊んじゃいけません」なんて言われたことは誰しも一度や二度はありますよね!
今思い返してみても、何故遊んではいけなかったのかは教えてもらえなかったような…?
そこで今回の記事では、どうして遊んじゃいけなかったのか、その理由について考察していきたいと思います。
まず、彼(彼女)との出会いは小学四年生の頃でした。仮にAさんと呼びます。
Aさんは転校生でした。どこから来たのかは最後まで教えてくれませんでしたが、僕たちの住む街からは遠く離れた山奥から来たようで、大きな校舎やたくさんの人間の一つ一つにとても驚いていました。そのたびに恥ずかしそうに笑っていました。
転校初日、Aさんは隣の席にいました。不登校になっていた子の席がずっと空いたままだったのを知ってか知らずか「ここ座っていい?」と聞いてきたのを覚えています。それから転校してきたことを教えてくれました。転校初日は先生の横に立って前で挨拶するものかと思っていましたが、転校が多いというAさんには「漫画の読みすぎ」と笑われてしまいました。そういうものなのかと、僕は少しだけ大人になったような気がしました。
Aさんは教科書を持っていませんでした。おうちの都合、というものらしいです。授業のたびに机を繋げて僕の教科書を見せていました。毎日そのようなことをしなければならないので、僕は少し面倒くさかったのですが、一日の終わりには今日もありがとうと笑って小さな飴玉をくれるので、悪くないような感じもしていました。今思えば本当は飴玉なんて欲しくなく、貧しい転校生に優しくしている自分への優越があったと思います。はじめから机を繋げておけばいいのにいちいち離していたのは、机をくっつけるたびにドキドキしていたからだと思います。
変な子だなと思ったことが何度かありました。習字の授業のときでした。Aさんはやっぱり道具を持っていなかったので、半紙はたくさんあったのであげればいい、自分の分を書き終えたら貸してやろうと言いました。するとAさんは嫌がりました。普段教科書を見るのには抵抗がないのに、どうして?と思いました。手が汚れるから嫌だと言っていた気がします。教室の後ろに所狭しと並んだ「旅立ちの朝」たちのなかに、Aさんの名前は飾られませんでした。
体育の授業のときでした。僕はAさん以外とは遊ばなくなっていたので、必然的にペアを組みました。元々奇数人のクラスで、僕は先生と組むことも多かったので、Aさんの転校(転入)でちょうど良くなりました。
二人組を組んで、と言った後に先生はいつもの癖で僕のもとに来ました。「今日からはAさんがいるから大丈夫」と言いました。先生は間違えたことが恥ずかしかったのか、気まずそうに先頭に戻りました。そのあいだ、Aさんはずっと笑っていました。
放課後、僕らはよく校庭で遊んでいました。Aさんが来る前はすぐに帰ることが多かったので、誰かと遊べることがとても楽しかったです。Aさんはシーソーとかくれんぼが下手くそでしたが、だるまさんがころんだが上手でした。
帰り道はAさんが家まで送ってくれていました。たまには僕が送るよと言うのですが、Aさんは「すごく遠いから」とはぐらかしていました。貧しい家を見られたくなかったのだと思います。それに気付いてからは僕も何も言わなくなりました。
ある夜のことです。熱帯夜が続いていたのに、ずっと涼しい夜でした。それもAさんが教えてくれたことです。
「今晩はずっと涼しいから、二人でこっそり遊びに行こう」
小学六年生になっていた僕らは、背伸びをしたくなったのです。
両親が寝静まってから外に出ました。普段気にも留めない玄関の音がやけに大きくて、起こしてしまうんじゃないかとハラハラしました。集合場所は校庭です。門は固く閉じていましたが、裏の金網に子ども一人通れるだけの穴が空いているのです。僕らは不法侵入をしました。
いつもは他の人達が使っていて遊べないブランコに乗りました。Aさんはブランコも下手くそで、全然漕げていませんでした。お手本を見せてやると僕は思い切り漕ぎました。運動神経の良いクラスメイトがやっている大ジャンプに挑戦です。「見てて」と言い、ブランコから体を浮かせて、それから、次の記憶は病院でした。
目を開けると眩しくて、真っ白な天井を見ました。お母さんは泣いていました。お父さんはもっと泣いていました。二人を見て僕も泣いてしまいました。たくさんごめんなさいと言いました。お医者さんが差し出してくれた水を一口飲むと心なしか落ち着いて、今いない人のことを思い出しました。
僕は「Aはどこ?」と聞きました。
お母さんは答えません。お父さんも答えません。
僕は少し考えて言い直しました。
「一緒に遊んでた子はどこ?」
さきに口を開いたのはお母さんです。
「...あの子とは、もう遊んじゃいけません。」
いつもの怒るときの目とは違いました。それなのに僕はすごく悲しくなって、また泣いてしまいました。
三週間の入院を終えて学校に行くと、そこにAさんの姿はありませんでした。友達と呼べるのはAさんだけだったので誰にも聞けませんでした。教科書はいつも僕が貸していて、習字も残っていません。体育の時間に先生に久しぶりに「ペアがいません」と言いました。僕はこれがとても恥ずかしいのですが、何故か先生は安心したような顔をしました。
Aさんにはまだ会えていません。
いかがでしたか?
考察してみた結果、遊んではいけない明確な理由は分かりませんでした!
会えなくなったのはまた転校してしまったからでしょうか?きっと今もどこかで元気にしていると思います!
情報が分かり次第、追記したいと思います!
気になる方は是非チェックしてみてください!
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