住野よるの小説「君の膵臓をたべたい」が浜辺美波と北村匠海のW主演で映画化。小栗旬演じる教師の“僕”が教え子と話すうちに、高校時代に出会った膵臓の病気を抱えた桜良(浜辺)のことを思い出していく。彼女の病気を偶然に知ってしまった高校生の“僕”(北村匠海)は、巻き込まれるように、彼女と一緒に時を過ごすように。だが、キラキラとした桜良との時間は終わりを告げ…。7月28日(金)に公開を控え、北村匠海と共演者との対談ででお送りしてきたリレー連載第3回目は、高校時代の“僕”を演じた北村匠海単独インタビューでお届けします。
――初主演映画「君の膵臓をたべたい」の完成版をご覧になって、いかがでしたか?
監督に「すごくすてきな映画でした!」と、すぐに感想を伝えました。たいていは自分の芝居の粗探しになってしまって客観的に見られないときが多いんですけど。「この作品に出会えて本当に良かったな」と思いました。
――北村さん演じる高校生の“僕”は、膵臓の病を患い余命宣告されているクラスメイト・桜良(浜辺美波)との出会いで、大きく成長します。
そうですね。自ら心に壁を作って生きてきた彼からすると、最初の方は桜良に関心もないから、「この子がいなくなったら、またいつも通りの生活に戻るな」ぐらいの気持ちでいたんじゃないかな、とも思うんです。でも、いつの間にか彼女が自分の中でかけがえのないピースになっていった。そんな彼女を失うことは、“僕”にとっては理解も処理もしきれない、どこにも当てようのない感情で。それを表情で演出するのは、難しかったです。
――“僕”の「当事者じゃないのに泣くのはおかしい」という考え方が印象的でした。
あの気持ちは僕もすごくよく分かります。「一番悲しい人がいるはずなのに、僕が悲しむのは間違ってる」というのは、よく思いますね。実体験もありますし、共感できる部分がありました。やはり、“僕”は本を読む人間なので、そういった深い心理で物事を見る感覚を持って人と接しているのかな?と思います。人と関わる際に、まずは“僕”なりの見解があって、全てにおいてある種の“物語”を作って接していたように感じるんです。だから、桜良と一緒にいる時間も、余命も短いと分かった上で、その最後まできっと2人で幸せに過ごせると考えていたんだと思います。
――また、いつもガムを噛んでいるクラスメイト・ガム君(矢本悠馬)とのシーンは、終盤、“僕”の変化を感じられるくだけた言葉遣いになっていました。台本通りですか?
あれはアドリブでした。あそこが“僕”に初めて友達ができた瞬間ですよね。矢本君とのシーンもすごく好きなんですけど、それは「“僕”ってこんなふうにもなれるんだな」と感じられるからなんです。この先の“僕”の人生の明るさをちょっと演出できたらいいなって。あのあたりから徐々に、“僕”の人生の閉じこもった感じを開いていけたら…と思いながら、少しずつ変化を付けて演じていました。ガム君も桜良と同じで、ズケズケと来るタイプだと思うんですよ。それは彼にとっては自然なことだったと思うんですけど、望んでもいないのにどんどん近付いて話しかけてくるガム君に、心を開いてしまう“僕”がいて。男同士だというのもあるし、「あ、“僕”はそういう感じにもなれるんだな」と。あそこで“僕”が大人になっていくのを示唆できたらいいな、と思っていましたね。
――自ら壁を作っていたのが、桜良との出会いで変わっていく“僕”。ご自身と重なる部分もありましたか?
“僕”という人物は理解しがたいキャラクターだと思うんですけど、僕にとってはすごく心情が分かりやすい役だったんです。中学時代は自分も壁を作っていて、他人に興味がなかったわけではないのですが…。
――そんな北村さんの心を開かせる、桜良のような存在に出会ったのはいつごろですか?
中学後半のころで、音楽を始めてからですね。DISH//のメンバーとの出会いが本当に大きいな、と思います。あとは、地元の友達2人。中学が同じで、3年生の終わりの方で本当に仲良くなったんです。その1人はまさに桜良みたいにズケズケと来るタイプで、良い意味で普通に接してくれたんです。気を遣わなくていいのが楽しくて。今も3人で会って、他愛もない話をしています。その2人と出会うまでは、学校が終わったら真っ先に家に帰っていました。バスケットボール部に所属していて、部活のときは後輩の面倒も見たりしていたので、慕われていたと思います(笑)。
――“僕”が泣くシーンは多く人の心を揺さぶると思います。どのように気持ちを作られましたか?
前日まであのシーンの台本を一切読まないでいたんです。桜良の日記をあの場で初めて読んで、自然と出てきた涙でした。撮影現場では浜辺さんのナレーションも聞きながら演じていたんですけど…自然な芝居ができたと思います。あれは、自分の中から出てきたのではなく、“僕”としての涙だったので。完成作を見て、まさか自分の芝居で泣くとは思ってもみませんでした。また、僕が演じる時代の“僕”があれだけ激しく泣いて、でも、小栗(旬)さんが演じる12年後の“僕”は一粒しか涙を流さない。そこには“僕”の成長を感じました。時間は“あの日”から止まっていたんだと思うんですけど、“僕”がまた桜良を思い出し、桜良が遺した思いを知っていく中で一歩前に踏み出した…そのことが伝わってくる描写だと感じました。(原作にはない)小栗さんたちが演じられる大人の時代は、すごく意味があるし本当にすてきだな、とあらためて思います。
大前多恵
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