倖田來未、w-inds.、SUPER JUNIOR、Da-iCEなど多くのライブ演出を手掛けるMASAO。彼は大学時代にダンスを始め、20代はバックダンサーとして活動し、その後コレオグラファーを経て、演出家の道にたどり着いた。MASAOはどのようにしてダンサーから裏方のプロフェッショナルになったのか? そのキャリアとマインドが変化したタイミングについて語ってもらった。
――MASAOさんがダンサーやコレオグラファーのキャリアを経て、演出家としてのキャリアを始めたのはいつごろですか?
「それは30代になってからですね。日本でもダンス人口はどんどん増えてるし、ダンスに興味を持つ入口も広くなっていると思うんですけど、それと同時に出口を作っている人はなかなかいないと思うんですよね。自分のためにも、たくさんいるダンサーにとっても、ダンサーを経ての職業の選択肢の一つになれたらと」
――そうなんですね。
「僕も10代のころは踊ることがシンプルに大好きで、ダンスでご飯を食べていくなんて思ってもなかったんですね。そういうシステムもほぼなかったし。でも、ダンスでお金をもらえるようになって、出口の必要性を感じたんです。30代はそのことをすごく考えてましたね。バックダンサーを仕事にしていても、いつまであるかわからない仕事で、保証もないですし。なんにしても、自分じゃなきゃダメというものがないといけないと気づきました。そんなことを30代前半のころに思っていて、このままずっとダンスやって楽しければいいという考え方が変わっていったんです」
――早いタイミングで将来的なビジョンを持つべきだと。
「そうですね。もちろん、ずっと現役ダンサーとしてやっている方は尊敬していますが、将来の選択肢がもういくつかあってもいいのかなと。ダンスをしていたからこそ、できる仕事や、怪我してもできる仕事があってもと思います。まだその選択肢は少ないので、どれを選ぶにしても将来的なビジョンを考えるタイミングは早いほうがいいかと思います」
――MASAOさんもダンスレッスンのインストラクターをやられていたんですよね?
「やってましたけど、レッスンは40代前半で辞めました。いつか辞めるなら生徒がいるうちに辞めようと思っていたんです。あとレッスンの報酬からのシフトを考えていました。30代前半で自分にしかできないことを模索し始めるんですね。そんななかで、倖田來未さんのライブのダンサーをまとめる仕事が入ったんです」
――それは何歳のころですか?
「32、33歳の時ですね。その時に『どういうライブにしたらいいと思う?』という相談され、『こういう感じはどう?』、『じゃあやってみましょう』という流れになったんです。一緒に仕事をするようになって、2年後くらいに彼女に『MASAOさんが今やってる仕事って、なんていう職種なんだろうね?』って言われたんですよね。そこで会社の方に『演出家なんじゃない?』って言われて、『ああ、俺がやってるのは演出なのか』って思ったんです。それくらい演出という言葉に無頓着だったんです。でも、彼女の仕事だけでは“演出家”とは名乗れないし、他のアーティストの仕事もやってみたいと思っているうちにいろんなアーティストさんから演出の依頼が来るようになったんです」
――MASAOさんが担当されている演出の範囲はどこまでですか?
「ステージに関わるほぼ全てのことに関わっています。アーティストにもよるんですけど、ライブのコンセプトを決めて、セットリストを作って、セットの感じも決めて。タイトルを決めるところもあります。また必要であれば自分で振り付けをしたり、イメージを伝えてコレオグラファーにお願いすることもありますね」
――ダンサーから演出家に移行するまでに葛藤はなかったですか?
「かなりありました。表舞台に立っていたところから、裏方にまわるってやっぱり相当な気持ちの切り替えが必要なんですよ。そういう意味では、ダンサーをまとめる役を務めていた2年間は葛藤もありましたね。でも、自分が演出したライブをお客さんが本当に楽しんでいる光景を見た時に楽しいし、奥が深い仕事だと思えるようになったんです」
――当初は演出に対して無頓着だったとおっしゃっていましたけど、今思えばもともと演出家としての資質があったと思うところはありますか?
「どうですかね。今思えば10代のころにダンサーとして出演していたイベントでも人と違うことをやりたいと思ってたんですよね。それが『こういうライブは誰もやってないんじゃない?』って提案したりするようになっていったのでそういった意味では少しはあったのかもしれません」
――演出家の立場から、若いダンサーへのアドバイスはありますか? たとえば色気をまとうために夜遊びをしたほうがいい、とか(笑)。
「すべてとは言いませんが、要素としては必要なことかもしれません。たとえば男性ダンサーに『女性を口説くようなアクティングをしてほしい』とリクエストした時に経験から得たリアリティがないと説得力がないんですよね。それは女性ダンサーにも言えることだと思います」
――もっと言えば、いろんな人生経験をすることがダンサーとしての表現力にダイレクトにフィードバックされるということですよね。
「そうだと思います。今の時代はダンスがわりと健全なものになりつつあると思うんですね。ダンススタジオに通ってレッスンを受けて発表会に出るみたいな。ただその繰り返しをしているだけの若い子も多いんですよね。もちろんそれもいいと思うんですけど、表現力はレッスンだけでは養えないですからね」
――あらためて、やはりMASAOさんの存在はダンスシーンでは異端と言えるんですか?
「周りにどう見られているかわからないですけど、変わってるかもしれません」
――最後に、ダンサーたちへひと言お願いします。
「仕事のオファーが来た時にいかに対応できる自分を持っているかが大事だと思います。チャンスはいつ来るかわからないけど、対応できる自分がいないと仕事のチャンスは広がらないですから」
(撮影/今井卓 取材・文/三宅正一(Q2))
大学在籍時にダンスと出会い、M.D.CREWというサークルを結成。その当時から、アーティストのバックダンサーなどの活動を行ない、2000年頃からは振付の仕事のオファーが増える。現在ではライブやコンサートの総合演出をいくつも手掛けるようになった。主に演出や振付を担当しているアーティストは、w-inds.、℃-ute、倖田來未、SUPER JUNIOR、Da-iCEなど。また、YU-TA、Kaji、Soichiro、Fumiyaの4人のダンサーによるエンターテイナー集団・Hi-Fiのプロデュースも手掛けている。
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