おしぼりの記憶/連載:小林私「私事ですが、」

2023/09/16 20:00 配信

音楽 コラム 連載

おしぼりの記憶※本人制作イラスト

美大在学中から音楽活動をスタートしたシンガーソングライター・小林私が、彼自身の日常やアート・本のことから短編小説など、さまざまな「私事」をつづります。今回は「アイコンタクト」について考察するエッセイです。

私事だが、いよいよ書くことがなくなってきた感じがする。というか、いつも奇を衒いすぎている。

他のみんなは日記のようなものを書いているのに、一目置かれたいだけの理由で無駄に頭をひねっている。

ときどき音楽家のようなことを書いているのは書くことが思いつかないからだ。想像力が欠けたのなら身を切り売りするしかないのだから、必然、普段考えていることをさも得意げに書き出すしかない。

普段考えている、と言いつつ脳内に言葉にして置いているわけではない。慌てて行動と照らし合わせて「俺ってこういう人間なんじゃないだろうか?」と推理し、「俺ってこういう人間なんですよ」と書く。例外は多数あるというのに。

先日、友人からネットニュースのURLが送られてきた。正確なタイトルは忘れたが「アイコンタクトを避ける人は自閉症の傾向が高い」という主旨のものだった。私は常にアイコンタクトを避けている。人に指摘されることもある。こういうことを書くと「額や胸元を見ると良い」とかいうトンチンカンなアドバイスが飛んでくるので先に言っておくが、そもそも視界に人の目が入ってくるのが嫌なのだ。額や胸元見たら目が見えてしまうじゃないか。

さておき興味深いニュースなのでネットに転がっている自閉症診断なるものをやってみた。結果、自閉症傾向が極めて高かった。
これはあくまでネットに転がっていた診断の結果であり、医者に診てもらったわけではない。あくまでそういう遊びとして認識してほしいのだが、そうか...俺は自閉症の傾向が高いのか...。

まあ、あまりショックでもない。結局のところ、こういうのは実際に困ってるか困ってないかが問題なのであり、私はあまり困ってないので仮に本当に自閉症だったとして別にいい。ただ設問でいちいち驚きと発見があった。

まず、アイコンタクトに関しての質問が多い。実のところ私は世の人間は言うほどアイコンタクトをしていないと思っていた。アイコンタクトを避ける人間は分かると思うのだが、やたらと目を合わせようとしてくる人間が時々いる。非常に苦手なので即刻心の扉が閉まるのだが、そういう変な人がたまにいるだけだと思っていた。

考えてみれば、アイコンタクトが出来ない人間がどれだけ他人がアイコンタクトをしているのか、まともなサンプルが取れているはずもなく、多くの出来る人間のなかに執拗にしたがる人間がいるだけだったのだ。

他にも面白いものがあった。
「映画を見るとき、通常役者の目を見ていない」
「子供の頃、足の前方に力を入れて歩いていた」

聞かれるまで考えたこともなかった。両方とも答えはYESだ。会話上でアイコンタクトが必要という言い分は分からなくはないが、映画で目を見る必要、あるのか?むしろ一番見ていなかったと思う。みんなは基本的に役者の目を見て映画を見てるってこと?

足の前方に力を入れて歩く、これはただのあるあるじゃないのだろうか。というより足元に気を付けて歩かないのだろうか。

それは何かに躓くことを避ける、という意味ではなく、説明が難しいのだが、例えば濃い色のタイルと薄い色のタイルが並んでいる床があったとして、右足で濃い色のタイルを踏むと一回分の”濃さ”が右足の裏に圧力として溜まるので、左足でも同じ回数踏まなければならない、ということだ。みんなこうして歩いていないということなのだろうか。
「よく躓く」旨の質問もあったが、これもYES。これは自分でも、凄い地面見ながら歩いているのに何故転ぶんだろうとは思う。

アイコンタクトの話に戻る。ニュースには「アイコンタクトを避ける理由はパフォーマンスが著しく下がると主張する」と書いてあった。もう、なんというか、懐かしい言い回しをするのであれば、禿同、おまいは俺か、と言わざるをえない。まさしくそうなのだ。私がライブで基本的に目を瞑って歌うのは、観客の目が視界に入ると気が散って仕方がないからなのだ。

会話においても、目を合わせられたら喋れない。メニューとか、おしぼりとかを見て喋る方が絶対にいい。飲み会の記憶はおしぼりと一個だけ残り続けている唐揚げだ。でも楽しくないわけではない。普通に楽しんでいるし、楽しんでいる感じも出している。楽しんでいる感じを出しているのだから、きっと楽しいんだろうと想定してほしい。

このようなことを友人に伝えたところ「普通の人はパターンの想定で喋らないよ」と言われたとさ。
めでたしめでたし…。


関連人物