「金曜ロードショー」(毎週金曜夜9:00-10:54※12月8日[金]は夜9:00-11:04、日本テレビ系)と「ウォルト・ディズニー・カンパニー」がタッグを組んだ「金曜ロードショーで見たいディズニー長編アニメーション映画」が、11月17日から4週連続で放送中。17日に放送された第1弾は、「第94回アカデミー賞」の長編アニメーション作品賞を受賞した「ミラベルと魔法だらけの家」(2021年)。そして24日(金)に放送される第2弾は、いまや古典といってもいい「ノートルダムの鐘」(1996年)が選ばれた。今回、幅広いエンタメに精通するフリージャーナリスト・原田和典氏が本作を視聴し、独自の視点で見どころを紹介する。(以下、ネタバレを含みます)
「ノートルダムの鐘」は、19世紀に活躍したフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの名作「ノートルダム・ド・パリ」に着想を得た作品で、日本では劇団四季の人気公演としてもおなじみであろう。舞台は中世のフランス・パリ、ノートルダム大聖堂。主人公は冷酷な判事フロローに“カジモド”と名付けられ、育てられた鐘つき男だ。
判事といってもフロローは人格者ではなく、権力を思うままに操るとともに、レイシズムをむきだしにする非道な男。いわゆる今作のヴィランだ。カジモドは彼の家来であり、奴隷であり、支配する相手だった。にもかかわらず、カジモドは“汚れなかった”。さまざまな鐘に名前を付けてそれぞれの響きを愛する彼は、少しでもいいからノートルダム大聖堂を出て、地上に降りて、パリの庶民と同じ空気を吸ってみたかった。
三体の石像は彼を応援し、励ましたが、フロローは外出を禁じる。カジモドはその姿からみだりに人前に出てはいけないというようなことを言う。心の醜い者が、外見の異なる者の行動を居丈高に決めつける。物語なんだ、映画なんだと分かっていてもやるせなくなったし、自分自身も知らず知らずのうちに偏見を持って人と接してしまっているのではないかと深く考えさせられた。
それでもカジモドは自身の思いに忠実になり、聖堂を飛び出す。外は年に一度開催される「道化の祭り」の真っ最中だった。踊り子である美女・エスメラルダと出会い、何となく祭りの一群に入り込んでしまったカジモドは「祭りの王者」に選ばれてしまう。しかし、目立ってしまったことで大衆から好奇の目を向けられる。
エスメラルダはカジモドの外見を特に気にするようでもなく、フレンドリーに接した。ただ、彼女はフロローがレイシズムの対象としている民族であり、しかも「俺の家来と親しくしている」ため、フロローの憎しみは高まるばかり。彼女を消し去ろうと、美男でマッチョなフィーバスに殺害を命じるが、このフィーバスが命令に背くあたりから、物語のコクはさらに増してゆく。
エスメラルダと共有する時間の中で、カジモドはおそらく人生初めての恋心を抱いたに違いない。しかもカジモドは猛烈な優しさ、男気も発揮するから、少なくとも私には、「この2人が結ばれたらいいな」と思わずに画面を見ることは難しかったが、カジモドは「恋」していたとしても、エスメラルダが寄せていたのは「好意」だった。エスメラルダの気持ちがなぜ「恋」に昇華せず、フィーバスをパートナーに選んだのか、それが提示するものはあまりにも深い。そしてどんなに不遇でも決して汚れない彼の姿に目頭が熱くなった。
原作には「実はフロローがエスメラルダに恋をしていたこと」「カジモドが因果応報とばかりにフロローに過激な行動をとるシーン」なども描かれているが、ディズニー映画「美女と野獣」のスタッフが関わったアニメーション映画版では全般にドロドロ具合、ねじれ具合がスッキリとアレンジされているのも特徴といえる。このアニメーション映画版「ノートルダムの鐘」を起点として、原作やそれに基づく歴代のカバー・バージョンを参照しながら“人間の業”について考えてみるのも一興だろう。
「ノートルダムの鐘」はディズニープラスで配信中。また、ディズニー創立100周年を記念した最新アニメ―ション映画「ウィッシュ」は12月15日(金)に劇場公開。主人公の少女・アーシャ役の日本版声優を生田絵梨花、ヴィランであるマグニフィコ王の日本版声優を福山雅治が務めることでも注目を集めている。
◆文=原田和典
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)