声優としてTVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』などに出演、さらに映像作品や舞台俳優としても幅広く活躍する佐藤日向さん。お芝居や歌の表現とストイックに向き合う彼女を支えているのは、たくさんの本から受け取ってきた言葉の力。「佐藤日向の#砂糖図書館」が、新たな本との出会いをお届けします。
学校、会社、習い事。
何かのコミュニティに属する時、どうしても他人が羨ましくなることがある。
他人に自分がなれるわけがないのに。
今回紹介するのは寺地はるなさんの「どうして私はあの子じゃないの」という作品だ。
本作は幼少から一緒に育ってきた男女3人がそれぞれの進路をきっかけに疎遠になり、30歳で再び故郷で会う約束をする物語だ。
ここだけを切り取ると何も起きないような気がするが、人にとっての10年は良し悪し関係なく変化に変化を重ねているのだと私は思う。作中では幼馴染3人の視点で物語が綴られているため、人によって覚えている言葉や印象的だった場面が違ったり、逆に大枠は覚えているけど誰が言った言葉なのかはっきりとは覚えていなかったり、その人の育った環境も含めて影響されるものは人それぞれで異なるのだと痛感させられた。
例えば、私は中学の卒業式で先生が「夢は、叶いません」と断言したのを今でもその場面だけはっきりと覚えているが、同級生の子たちはきっと覚えていないのだろう。
そういった場面は覚えているのに私自身中学時代どうやって人と接して、どんな子どもだったのかほとんど覚えていない。最近気付いたことだが、私は60%くらいのレベルの嫌なことは即忘れるが80%レベルの嫌なことは忘れず覚えているらしい。
なぜならこの80%レベルの嫌なことが起こるとどうしていいか分からず家で大号泣をして、必ず改善しようと私は一回は努力するからだ。
だからなのか久しぶりに会う人には必ずと言っていいほど「なんか変わったね。大人になってる」言われる。
私は子どもの頃からよく言えば意識が高く、悪く言えばあり得ないくらい頑固だった。自分が興味を持ったことにチャレンジしないと気が済まなかったし、それは芸能活動も習い事もそうだ。両親の協力もあって私は子どもの頃から勉強のやり方を知りたいと伝えたら塾に通わせてもらい、英検を取ってみたいと伝えたら英会話に通われてもらい、バレエも自分でやりたいと伝えた。人というのは自分のやりたいことをやっている時にキラキラと輝いているもので、そのキラキラは他人には多分眩しく感じ、鬱陶しくなるものだ。
だから周りの子からは「日向ちゃんは努力してないくせにずるい」とよく言われていた。
今思えば昔の私ってすごい努力してるなと思うが、当時の私にとって習い事も仕事もやりたい事だったから、努力してないと言われても周りへの興味よりやりたいことへの興味の方が強かったからかあまり印象にも残っていない。
だが、本作を読んだあとだと誰かの記憶にはもしかしたらそんな私が残っているかもしれないし、たまにSNSで見かけたりすると私は誰か思い出せないのに相手は知っているんだと不思議な感覚になる。
全員の視点に共感する言葉が詰め込まれていて、まるで自分の日常の一部のような感覚になるのはきっと寺地さんの紡ぐ文字たちの力なのだと強く感じた。「いつも漠然と、誰かのことがうらやましかった。でもやっぱり他人の必死さを笑ったり、心配するふりして気持ちよくなったりする側より、笑われる側にいるほうがいい。なんか、そっちの方が合ってる」作中にあるこの言葉のように自分らしさを見失わない、好きな自分を保っていきたい。
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