電話/連載:小林私「私事ですが、」

2023/12/09 20:00 配信

音楽 コラム 連載

電話 ※本人制作画像

美大在学中から音楽活動をスタートしたシンガーソングライター・小林私が、彼自身の日常やアート・本のことから短編小説など、さまざまな「私事」をつづります。今回は、珍しく知人から“人生の相談”電話を受けて考えたエッセイです。

その日は電話を二度した。
長電話を好むタイプではないし、業務連絡もなるべく文面で行いたい派だ。(言葉の聞き取り能力が低く、聞き間違いが多いから)

ただその日の電話は珍しく、一人目は約一年前に活動休止したミュージシャン兼イラストレーターからだった。
共通の友人から新しい制作に没頭しているとだけは聞いていたのでそこまで心配はしていなかったが、久しぶりに声を聞いて自分で確認が出来るとより安心するものだなと思った。

電話の内容は他愛もないもので、どのくらい進行しているだとか、飯はどうしているかとか、そんなのだ。自信のあるプロジェクトを進めていても不安になることはあるそうで、しきりに大丈夫かなとぼやいてはいたが、まあ大丈夫だろう。ずっと作品を外に出し続けていた者が一年も籠れる支持体なら、反応がどうなったって誇れるものにはなる。ぼやく相手が俺ということだけは間違っているのかもしれないが。

二人目はこちらもミュージシャン。後輩だ。特段連絡を取り合う仲ではないが、SNSで何やら危なげな投稿をしていたので心配になってこちらから連絡をした。(気を遣ってくれたのかもしれないが)「小林さんにかけようと思ってました」とは言ってくれた。内容は大雑把にいうと人生相談で、こいつも俺に相談するという一点だけ間違えている。出来る範囲の言葉はかけてやりたいが、最適解をそう出せる人間ではない。俺には俺を選んでくれたという事実に対しての喜びはあれど、それ以上の領分は持ち合わせていない。

内容はプライベートなので世には出さないが、そんなことより両者から共通して同じことを言われたのが気にかかっている。

小林私みたいになりたい...なりたいっていうか、ウーン」

なりたい、と言った後に「やっぱ違えか」みたいな逡巡もセットで共通していた。何故なんだ。
"ウーン"の方はむしろ分かる。どう見ても俺みたいになるべきではないからだ。それに俺のやり方が万人に適応できるものではないことは流石に理解し始めている。
逆に何故"なりたい"という言葉が出てきたのか。こっちの方が甚だ疑問である。

「あの人みたいになりたい」という字面はよく見るが、全く抱いたことのない感情だ。
真に凡な人間はいない、というのはベイクオフ・ジャパンを見れば分かる。その人が一般的平凡な人間に見えるということは自分自身がその人のことを知らないからに他ならない。

ベイクオフ・ジャパンは、イギリスの番組ブリティッシュ ベイクオフのリメイクで、アマチュア料理人が集ってお題に沿った料理を作る番組だ。審査員が調理過程を見ながらアドバイスをしたり、完成物に対する講評会をやったり。はじめはやたら癖の強い人が集められているのだな、と思いながら視聴していた。事前オーディションもあり、予め面白そうな人を選んでいるのだと。

しかし見進めていくと、その認識は誤りであると気付いた。彼ら出演者がどんな人で、どういう拘りを持って、それぞれ好みがあり、矜持があり、時に笑い涙する様子を見て、それらを知っていくなかで彼らの持つ固有の可笑しさに気付いていくのだ。

などとブツブツ書いているのは、本当は照れ臭かったからだろう。"ウーン"で締められていたとはいえ、わざわざ伝えてくれているのだから。親から俺を褒めずに兄弟だけ褒めて育てるという社会実験みたいな教育を受けていたので、未だに認められる、それを受け入れるというフェーズがない。だからこそ創作欲の根源を外部に接続することは今後もないだろうし、またその方法にも懐疑的だ。しかし彼らから相談を受けながら、その瞬間は相談をしてもらえる存在になっている事実に心地よくなってしまったことも事実。これは弱さであり、多少は受け入れるべき弱さでもあると思った。
また電話が鳴ったら、俺は少し笑んでしまうのだろう。

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