――2年前、映画館で無差別殺人事件が起きた。死者9名、負傷者21名。犯人は精神鑑定を拒否しており、動機と当時の精神状態は今も不明のままとなっている。加害者家族は事件現場で公に一度謝罪したものの、その後は姿を見せていない。――
これだけを聞くと、多くの人が犯人や加害者家族に憤りを感じ、被害者やその遺族たちに同情を寄せるはずだ。しかし、実態はそう単純ではない。例えば、犯人の弁護人であるワンは何の罪を犯したわけでもなく、信念と誇りをもって職務に打ち込んでいる。だが、会見中に被害者遺族に汚物を浴びせられ、それを報じたマスコミや視聴者たちも「天罰だ」と言わんばかりの態度だ。
また、加害者の両親が息子の罪を償うために家を売ったことは報道されない。事件当時、加害者家族は「死んで償え」という電話や、家へ突撃してくる人たちに脅えながら日々を過ごした。母親が「死ぬのは3人で十分、道連れにはしない」といって、娘にダージーという名を取得させて新しい人生に送り出すほど、加害者家族への風当たりは苛烈だったのである。そして、新しい人生を始めたはずのダージーにも、再び苦境が訪れてしまう。
台湾サスペンスには、事件そのものよりも、事件が起きた背景、事件のその後、被害者や加害者の心情に踏み込んで描いたものが多い。事件とどう関わっているのかによって、どのような角度から物事を見るかによって、悪との距離も、悪とは善とは何なのかも変わってしまう。大切な人を殺された遺族の悲しみの深さも、誰かにぶつけずにいられない思いもわかるからこそ、被害者や被害者遺族がときに加害者になってしまうというのが心底やるせない。
作品のジャケット写真となっている、大勢の記者に囲まれて加害者家族が土下座している光景を見ていると、何が悪なのかわからなくなってくるのではないだろうか。人権、報道のあり方、正義とは何かなど、さまざまなことを考えさせられてしまうのも、台湾サスペンスの奥深さ、魅力となっている。
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