――この番組誕生のきっかけになった「オンエアバトル」も、岡澤さんは番組の立ち上げから携わられていたそうですね。
「そうです、最初の立ち上げから4年くらい。僕は出演者のブッキングとディレクターをやってました」
――ブッキング担当として、どのように芸人さんを選んでいたんでしょうか。
「とにかくライブを見に行きました。オーディションって、雰囲気悪いというか(笑)、芸人さんからすると、すごくやりにくい状況だと思うんですよ。僕らの側から考えても、笑いをよく分かってないスタッフが選ぶと、独りよがりで偏った顔触れになってしまう。僕としては、できるだけ面白いネタをやる人を集めたかったので、オーディションをやるよりも、ちゃんとネタを見にいった方がいいなと思ったんです。そうすれば、お客さんがどのネタでどんな風に笑うのかも分かりますから。それに同じネタでも、会場によって間が違ってくるし、ウケ方も違いますからね。あと、似たようなネタをやってる芸人さんがたくさんいるんだな、みたいなことも分かってきますし(笑)。だから、それまで全くテレビに出たことのない芸人さんでも、自分が面白いと思った人には積極的に出ていただきました。本番で彼らがウケると、すごくうれしかったのを覚えてます。それは今も一緒で、自分の番組で自分が選んだ無名の芸人さんがウケると、ものすごくうれしいんですよね(笑)」
――今も、お笑いのライブは見に行かれているんですか?
「そうですね。今回の『真夏のお笑い夜どおしフェス どぅっかん!どぅっかん!』では、若手芸人のコーナーをやるにあたって、この半年で、若手のライブを50本くらい見ました。ライブを見たときは、どういう芸人さんがどんなネタをやったか、そして自分はどう思ったか、忘れないようにノートにメモしています。『キャラのゴリ押しに終始』とか、ちょっと気になることも書いたりして(笑)。そのノートは、『オンエアバトル』が始まった1999年からつけていて、今、16冊目。転勤で東京にいなかった時期もあるので、冊数は大したことはないんですけど」
――いえいえ! 岡澤さんは学生時代からお笑いファンだったんですか?
「いえ、それほどではないです。ただ、僕の母親の親友が落語家の娘さんで、小さいころからお笑いとか演芸といったものに、それなりに馴染みはあったんですけど。でも、お笑いのライブをガッツリ見るようになったのは、『オンエアバトル』の時期からです」
――『オンエアバトル』が終了する際、おぎやはぎさんがラジオ番組で「岡澤さんのおかげで、当時、他のテレビではできなかったネタをやらせてもらえた」とおっしゃっていましたが。
「すごい褒めてくれてましたよね(笑)。『オンエアバトル』が始まったころって、ネタ番組がほとんどなかったから、いわば、芸人さんたちの中にネタが溜まってる状態だったんでしょうね」
――新たなお笑いブームを巻き起こした「オンエアバトル」がテレビ界に与えた影響は大きいと思うのですが、岡澤さんの自己評価は?
「タイミングがよかったんですよね。当時、面白い芸人さんはいっぱいいるのに、彼らが出ていける場所がなかった。そういう人たちがどんどん出てくれたから、番組に勢いがついた。あとは、NHKという放送局が功を奏したところもあったのかなと思います。本番が始まる前に意気込みを聞いたり、“ガチでやってますよ感”を演出していたので、そういう真面目な感じがNHK的だったのかなと」
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