D.I.E.、ライブ中に起きた理解不能な現象語る「完全にhideちゃんの仕業」【hide with Spread Beaverフォトブック刊行記念 インタビューダイジェスト(6)】

2023/12/28 11:00 配信

音楽 インタビュー 独占

hide with Spread Beaverフォトブック刊行記念インタビューダイジェスト!第6回はD.I.E.(C)田中和子(CAPS)

日本のロック史上に伝説を打ち立てたバンド・X JAPANのギタリストとして、そしてソロアーティストとして日本の音楽シーンに多大なる影響を与え続けるhide(ヒデ)。2023年はhideソロデビュー30周年、永眠から25年にあたる。昨年2022年に全国で公開され大きな反響を呼んだ映画『TELL ME ~hideと見た景色~』をきっかけに、2023年の『hide Memorial Day 2023』ではhide with Spread Beaverによる25年ぶりのワンマンライブツアーが敢行された。取材開始から9カ月に及ぶ取材と誌面制作を経て、hideの誕生日である12月13日に発売されたフォトブック「hide 30th solo debut & hide with Spread Beaver appear!!Anniversary Photobook」。刊行を記念して、誌面に掲載されたhide with Spread Beaverのソロロングインタビューからhideとの思い出エピソードを中心にダイジェストでお届け。第6回はhide with Spread Beaverのキーボード・D.I.E.だ。

「hide 30th solo debut & hide with Spread Beaver appear!!Anniversary Photobook」書影撮影 田中和子/監修 ヘッドワックスオーガナイゼーション

ライブ中に起きた理解不能なエラーはhideの仕業?

──今回の公演では、『Ja,Zoo』ツアーではできなかったことをやろうといった思いが、メンバーの皆さんの中にあったのでしょうか?
「いや、特にそういうわけではなかったと思いますけど、あの当時は代表曲4曲しかリップシンクできなかったので、メンバーが歌った曲の方が多かった。今回はそういう技術ができたっていうところが大きかったんじゃないですかね。今回は、Spread BeaverのメンバーのLINEグループができたんですよ。だから、よりみんなで作っていこう、みたいな感じが強いんだろうなと思って。それで、アレンジを2023年最新型にしたいと思っていろいろとアイデアを送ったんですが、ことごとく却下されました(笑)。誰かが歌って新曲を作るっていうのはナシだけど、アレンジや間奏をとんでもなく変えちゃうっていうのはアリだと思ったんですね。hideちゃんが『お? 俺がいないのになかなかやるじゃん』って思うような感じの」

──今の技術ではそんなことができるのか!とビックリさせるような。
「そうそう。hideちゃんが今いたらこうしてたんじゃないか?っていう捉え方でもいいし」

──それで言うと今回の公演で初披露されたhideさんボーカルでの「PINK CLOUD ASSEMBLY」や「子 ギャル」では、新しいものを見せていただいたなと思いました。
「そうだね。(実弟の松本)裕士の朗読でも良かったんですけど(笑)」

──「ROCKET DIVE」でhideさんが空から降りてきて、「TELL ME」の最後に光の中に駆け込んでいくまで、hideさんが本当にずっとそこにいたような、ものすごく没入感のあるステージだったなと思います。
「本当ですよね。これはPATAに言い訳するなって言われるんですけど、最後の『TELL ME』でショル(ダー)キー(ボード)を持つじゃないですか。イントロはオルガンの音で、サビになったらギターのディレイみたいなパラパラパラって音を出すんですけど、そのサビの音が半音違う音になっていて。ちょっと説明が難しいんですけど、とにかく全然違う音になっていたんですよ。これは何だろう?と思いながら弾いていたんです。ショルキーって音色も変えられるんですけど、そこが壊れちゃったのでテックの人に本体の方で音色を変えてもらったんですよ。それでまたイントロに戻ると、壊れていたはずの部分が直っていて。ステージ袖から動画を撮っていた人に見せてもらったら、俺の音が超気持ち悪いんですよ。伝わりづらいんですけど、完全に理解不能なエラーが2回起こっていたんですよ」

──そんなことが起こっていたとは。
「完全にhideちゃんの仕業だなと思って。毎回、これはhideちゃん以外できないじゃんっていうことが起きるんですよ。だから今回もやられたなっていう(笑)。科学的に証明できないことだから、hideちゃんのせいだなって思うしかない。音が出なくなったとか、それぐらいだったらあり得るんですけど、今回はなかなか普通のトラブルではあり得ないことなんで。しかも、終わった瞬間に直っているんですよ」

──不思議ですね。
「昔、hideちゃんのホログラム公演を観に来てくださいって言われてJOEくんとCHIROLYNと一緒に観に行ったときに、チケットを入れていたタバコがなくなったんですよ。しょうがないと思って観終わって駐車場の車に乗った瞬間、目の前にタバコが置いてあって。その中のチケットを見直したら、チケットの番号が110番だったんです。110番って“くじら”って呼ばれていた、hideちゃんがロスで乗っていた愛車キャデラックのナンバーなんですよ。“1”と“10”で“秀人”っていうことで。それを見たときも“hideちゃん!”って思ったんですけど。だって絶対あり得ないんですよ。何回も探して失くしてしまったと思っていたのに、目の前に置いてあったんだから。そういうイタズラを経験した人って、たぶん他にもいるんじゃないですかね」

──D.I.E.さんはhideさんにいじられる役回りだったんですか?
「それはちょっとありますね。年で言うと、僕とRANちゃんが上で、hideちゃん、JOEくん、I.N.A.ちゃん、KIYOSHIが真ん中、その下がPATAとCHIROLYN、K.A.Z。なんだけど、逆だって言われてましたね。長男がPATAとCHIROLYNで、僕らが三男坊だって。チャランポランだったんで、一番いじられていましたね(笑)。hideちゃんは(真ん中だけど)引っ張るときは、大将みたいな感じでした」

──hideさんとD.I.E.さんは、どんなふうに出会ったのですか?
「hideちゃんがバンドメンバーとしてキーボードを探していて、そこに入ったという感じで、友達関係ではなかったんです。44MAGNUMのギターのJIMMYさんがマグナムの後に女性ボーカルと一緒にやったTOPAZっていうユニットで僕も弾いていたんですけど、そのマネージャーが元44MAGNUMのスタッフで、その人がhideちゃんが立ち上げたマネジメント事務所ヘッドワックスオーガナイゼーションのスタッフになったんですよ。それでキーボードを探しているっていうときに、僕がTOPAZでモヒカン頭だったり、ひずんだ音でソロを弾いたりしてたから、『面白い人がいるよ』って紹介してくれて。

でも最初、メンバーは酒が飲めるっていうのが(加入の)条件だったんですよ。それを聞いていたから、最初に六本木のお店で会ったときに、今よりもっと飲めなかったんですけどモスコミュールを2杯頑張って飲んで、音楽の話を1、2時間ぐらいしたのかな。もうその頃にはhideちゃんに『D.I.E.ちゃん、もう帰っていいよ』って言われるぐらい、ヘロヘロになっていたんだと思う(笑)。階段上って店を出た瞬間に吐きました。でも頑張った(笑)。その後も、ビルの2階の飲み屋さんで酔っぱらっちゃって階段で休んでたら、それまでみんなとワーッて騒いでいたhideちゃんが外に出てきてくれて、俺の横に座って『D.I.E.ちゃんさ、そんなに無理して飲まなくていいんだよ。弱いんだから無理しないでいいよ』って言ってくれたんです。打ち上げでも、みんな楽しめているかな?って全部見てくれていたんですよね」

──優しい方ですね。
「俺にはちょっと優しかったです。他の人に対するより、もう一つなんか優しい。悪く言えば、ちょっと距離があったのかもしれない。KIYOSHIとかJOEくんとはケンカもしていたから。僕とはケンカもしないし、どうしてか分からないけどすごく優しかったです」

──D.I.E.さんは癒やしの存在だったのかもしれませんね。
「それは分かんないですけど、一回ぶん投げられたことはあります。そのときはもう(酔いの限界)ラインを超えて“ヒデラ”になっていたときで。もう誰が誰なのか分かってなかったんでしょうね」


プロフィール/だい●1964年2月15日生まれ、東京都出身。1986年学習院大学在学中より、プロのセッションミュージシャンとして活動を始める。その後、DER ZIBETやZi:KILLなど数々のアーティストのツアーやレコーディングに参加。1994年、hide 1st ソロツアーよりhideバンドに参加。1994年から1998年まではGLAYのサポートメンバーも務めた。1996年に1stソロアルバム『SPEED BALL』をリリース。2007年5月にPATA率いるRa:INに正式メンバーとして加入した。

※フォトブック「hide 30th solo debut & hide with Spread Beaver appear!!Anniversary Photobook」ソロインタビューより抜粋。インタビュー全文は書籍でお楽しみください。
取材・文=大窪由香