1912年4月10日に出発したこの船が、氷山とぶつかったのは14日の深夜とされている。したがってそれまでの本当に豪勢で恵まれた数日間も、映画では丁寧に描かれている。作品を見たことがない人にも知られているであろうシーンはやはり、まだ船が順調に動いていた頃、その先端でジャックとローズがしているあのポーズであろう。
が、私が最も印象に残った場面の一つは、追っ手をまくために、二人が手をつなぎながらボイラー室を通り抜けるところだ。タイタニックはとんでもない大型船で、当時の常としてプロペラ駆動。必要とする石炭の分量も並外れていた。そのため数百人の労働者が、入れ代わり立ち代わり、24時間態勢で数百トンもの石炭を燃やし続けたという。恵まれた境遇にある乗客の「ロマンス」や「社交」の裏で、すさまじい熱さの中、汗みどろの男たちが、命懸けで石炭をくべていたわけだ。その情景が、ほんの少々とはいえ映画に挿入されたところに、私は監督のディレクターシップを見る。上級たちがうまいものを食い、飲んでいたであろうことは想像するまでもないが、労働者がどのような食事を得ていたのか、そこは知りたいと思った。
水を含んだ巨大船がどんどん傾いていく中、最初に助けの手が伸びたのは「一等」の人々に向けてである。女性と子どもが優先されたのは当然だろうが、どうしても、狭いスペースに密集していた「三等」の人々への救援は遅れてしまう。ローズは女性なので優先的に助けを受けることができたが、結果的に、生命の危機にさらされながらも、ジャックと一緒に時を過ごすことを選ぶ。出会って4日間という短期間で、恋とは、ここまで燃え上がるものなのだろうか…燃え上がるものなのだろう、この二人にとっては。
が、この映画、単なる「タイタニック乗船で始まった二人の恋が、沈没によって云々」という物語ではない。この4日間はいわば、とても長大な回想シーンという扱いで、前後にすっかり年を重ねた、本当に数少ない生存者になってしまったローズの登場場面がある。これが、のりまきでいえば「のり」の部分。酢飯や具材にあたるのが、「1912年のタイタニック事件を描いたパート」である。先にも触れたが、映画が初上映されたのは1997年のこと。まだ、「生存者を物語に登場させる」リアリティが、かろうじて成立した。
それから歳月は流れ、今は2024年。112年前のことを体験した人などもうこの世にはいないし、公開当時はいかにも最先鋭であったろうブラウン管モニター登場の箇所も、今ではほほ笑みが漏れそうになるほどレトロだ。
それでも、あらためて視聴した「タイタニック」はどうしようもなくヴィヴィッドであった。船を突き破る水の音、90度の斜面を滑り落ちる人々の悲鳴、高速で弾き飛ばされた末に物にぶつかる体、人生最後の音楽を奏でる演奏家たちの表情(当時最新のアメリカン・ヒット・ソングであろう「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」も演奏)、ローズが残りの力を絞り出すように吹くホイッスルの音色などなど、どれもこれもが、心に刺さるのだ。
映画「タイタニック」は、ディズニープラスのスターで配信中。
◆文=原田和典
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