2005年に病で38歳の若さでこの世を去った本田美奈子.さんのライブ映像『本田美奈子.ライブ「命をあげよう」』が、2月17日(土)にCS衛星劇場にて放送される。同番組は、1995年~2004年の本田さんの貴重なライブパフォーマンスを、ビデオノイズを軽減した、デジタルリマスター版で放送。本記事では、アイドルファンの間でいまなお伝説として語り継がれる本田さんの魅力について振り返ってみる。
本田さんは幼い頃から歌手になりたいという夢を持ち、中学生の時に多くの歌手を輩出したオーディション番組「スター誕生!」に出場した経験がある。夢が叶ったのは1985年。シングル「殺意のバカンス」でアイドルとしてデビューした。80年代前半から半ばにかけて多くのアイドルがデビューしており、1985年も南野陽子、中山美穂、森口博子、斉藤由貴、浅香唯、おニャン子クラブなどがデビュー。盛り上がっていたアイドル界をさらに熱くさせた。
4月にデビューしたあと、7月に「好きと言いなさい」、8月に「青い週末」と早いペースでシングルをリリース。9月にリリースした「Temptation(誘惑)」でオリコンランキングのトップ10入り、そして1986年2月に発売された「1986年のマリリン」でオリコン3位を記録。へそ出しルックと挑発的な振り付け、そして高い歌唱力と豊かな表現力で一気にブレイクを果たした。
ポジティブにいろいろなことに挑戦する本田さんは、1986年9月にロック界のレジェンド的存在のゲイリー・ムーアが書き下ろした「the Cross -愛の十字架-」を、1987年4月にはクイーンのブライアン・メイがプロデュース&楽曲提供(ギターとコーラスでも参加)した「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」の両A面シングルをリリースするなど、それまでの“アイドル”の枠を飛び越えた活動を見せてくれている。
その2つのシングルの間にリリースした、田村正和主演のドラマ「パパはニュースキャスター」の主題歌「Oneway Generation」もオリコン2位の大ヒットを記録。さらに、1988年1月には女性だけのロックバンド、MINAKO with WILD CATSを結成し、「あなたと、熱帯」などをリリース。1年半ほどの短い期間だったが、1つの挑戦として意味のある活動となった。
90年代に入ると大きな転機が訪れた。1990年秋に行われたミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションを受け、翌1991年1月に“キム”役に決定。「ミス・サイゴン」は1992年から1993年にかけておよそ1年半の期間上演され、キム役の本田さんは第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞するなど、高い評価を得た。その後も「屋根の上のバイオリン弾き」「王様と私」「レ・ミゼラブル」など、名作と呼ばれる作品に出演し、ミュージカル女優としての地位を確立していった。
アイドル、ポップス、ロック(洋楽的要素、ロックバンドなど)、ミュージカル、さらにはクラシックやジャズまで、活動の中でさまざまなジャンルを自身の中に取り入れ、全てを自身のものとして発信。まさしく枠にとらわれない“表現者”だった。
2004年11月、「本田美奈子」から「本田美奈子.」に改名。さらなるステップアップを試みようとしていたが、その年末あたりから体調に異変を覚え、2005年1月に急性骨髄性白血病と診断され、病名も公表した。治療を受け、復帰を目指すが同年11月6日、38歳の若さでこの世を去った。