──「打ち上げ花火―」の撮影時のエピソードなどがあれば、ぜひお聞かせください。
「30歳の大人が小学生を撮るということで、子役たちの演技をどうディレクションしようかと、いろいろと工夫を凝らしました。上方落語で『初天神』という、子供と父親が天神様にお参りに行く噺があるんですけど、上手い落語家さんがやると、子供がえらく生々しくて新鮮なんですね。『打ち上げ花火―』では、そういう子供の生々しさ、初々しさが前面に出るようにしたかったんです。
一般的なイメージとして、劇団に所属している子役って、わざとらしい演技をするものだと思われてますけど、僕はそれには異論があって。素人の子の方がよっぽど、演技っぽい演技をしてしまうものだと思うんですよ。だから、僕は逆に、いろんな劇団にお願いして、それぞれの劇団で一番演技が上手い子たちを集めたんです。そして彼らがどの役柄に合うのかを考えて、適材適所に配置しました。
またリハーサルでは、あえて会話を高速にしました。普通は台本を映像にすると、1ページにつき40秒くらいの尺になるんですけど、1ページ20秒くらいのスピードにしたんです。子役たちにも、『何で本番になるとゆっくりしゃべるの? いつもはもっと早くしゃべってるじゃない? 普段のスピードでしゃべろうよ』と。そうやって、“お芝居をしちゃダメだ”ということを言い続けた。そうすると、子役たち自身もだんだん分かってきて、最終的に僕が求める芝居ができるようになって、作品の世界観が出来上がりました。結局、優秀な子役というのは、大人が何を求めているのかさえ分かれば、それに応えられるだけの技量は持っているものなんですよね」
──先ほど「ドラマから映画へのシフトチェンジ」という言い方をされていましたが、岩井監督は深夜ドラマ時代から、行く行くは映画を撮りたい、という思いがあったのでしょうか。
「いえ、全然そんなことはなくて、むしろ深夜ドラマを撮っていたころは、『ずっとここでいいや』と思ってました(笑)。ドラマというのは、もちろん受注仕事ではあるんですけど、だんだん信用されていくに従って、中身はお任せ、みたいな感じになっていくんですね。締め切りもある中でネタをひねり出すのは大変なんだけど、本当に好きなことがやれて、楽しくてしょうがなかった。幸せでしたね。しかもドラマって、当時はソフト化されることなんてほとんどなかったから、テレビ局に納品してオンエアされたら、それで終わり、という世界だったんですよ。後腐れがなかったというか(笑)。逆に映画は作り終わったら、そこから宣伝とか、いろいろと作品の面倒を見たりしながら、公開まで1年以上掛かったりする。次の仕事をしているときに近所の映画館で上映されていたりしますからね。だから、映画に主軸を移した当初は、テレビドラマと違うそのタイミングのズレに、集中のしどころが分からなくなった時期もありました。逆に今は、映画のサイクルに慣れてしまったから、『ドラマってどうやって作ってたんだっけ?』というのがあるんですけど(笑)」
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