恋愛との決別『あざとくて何が悪いの?』/テレビお久しぶり#92

2024/03/22 19:00 配信

バラエティー コラム 連載

「テレビお久しぶり」(C)犬のかがやき

長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『あざとくて何が悪いの?』(毎週木曜夜0:45-、テレビ朝日)をチョイス。

恋愛との決別『あざとくて何が悪いの?』


恋愛について、本当に分からないことだらけだ。これは、私は、そういった関係に無知であり、奥手であります、と卑下することで、純粋性の担保を図ったり、その他の何らかの得を期待するような振る舞いでは決してなく、ふつう分からないのが当たり前で、そもそも、恋愛というものがこの世に存在しているのかどうかすら疑わしい、というようなところからこそ、恋愛は始まるんじゃないか、と考えるのだ。相手のことなど、まったく何も分からないし、性的志向だって、恋愛への価値観だって、人それぞれ、千差万別あるわけで、そんな、自分とは何もかもが違うであろう他者と、どのようにしてコミュニケーションを取り、お近づきになればいいだろう。まったくわからない……と頭を悩ませるのは、もはや恋愛だけではない、すべてのコミュニケーションに求められる誠実さであり、「なんでもわかります」と軽々言ってしまえるような人間を私は信用しない。78億人の人間がいるなら、78億通りの恋愛があるはずなのだ。

というような思想があるから、あまり恋愛について考えることも普段はほとんどないのだが、ゲストと”あざとさ”を語り尽くすトークバラエティ『あざとくて何が悪いの?』を見ると、なるほど、こんな価値観や考え方があるのか、と、非常に興味深く鑑賞できた。今回のメインテーマは、『断り方』と『誘わせ方』。なるべく誰も傷つけず自分の心証を損なうこともなく誘いを断るテクニックや、意中の相手のほうから誘ってくるように導くテクニックが、視聴者投稿による再現VTRで紹介される。後者はまあさておき、誰のことも傷つけずに断るテクニックというのは非常に参考になるものばかりだ。ちなみに、私はもっぱら、お金がないと言って断っている。本当にないからである。真実というのはやはり強いものだ。とはいえ、ここ数年は、気を遣わずに断れる相手以外からは、あまり誘われることも無くなってきてしまった。”誘う方”として長いこと生きてきた弊害なのかもしれない。

話が反れてしまった。今回は恋愛の話をするんだった。さて、「口説く」という言葉の、妙な気味の悪さは一体なんだろう。たとえば、「自分のプレゼンで相手を口説き落とせた」というような文脈での使われ方ならいいのだけど、恋愛における文脈での「口説く」って、まるで相手をトンボか何かだと思っているような、一方的に捕獲するような印象を受けないだろうか。こう、自分の実力で相手を自分のものにする、というような。どうも薄気味の悪い言葉なのである。また、「男の友情より女を優先するのは云々」というような話も番組内に出てきて、昔からよく聞くフレーズだけれども、性別など関係なく先約を優先するのはごく当たり前の話であり、女性とではなく男同士で遊ぶほうが偉いなんていうのは、一体だれが決めたのだろう。意味が分からない。

私にとっては、相手が恋人でも友人でも家族でも何でも、愛情というのは同一のもので、他の愛情よりも恋愛感情が勝るということはまったくない。だから状況によって恋人を優先するし、友人を優先するし、家族を優先するし、ひとりでいるのを優先するかもしれない。恋人と会う時間と同じだけ友人(性別を問わず)とも会いたいし、だからこそ、終盤に街頭インタビューを受けていた男性の話す、男が車道側を歩くべきというような通説を自らが実践するのが恥ずかしくてついボケてしまうという話に大きな共感を覚えた。私も重い荷物を持っている恋人に「重そ~捨てれば?」とか言っていた。個人から個人へのやさしさが、ネットで広まってるような俗説に回収されてしまう恥ずかしさはなかなか厳しいものがあるし、恋人も友人も、愛情を持つ対象として何ら変わらない私からすれば、それらの作法は、人全体への優しさに他ならず、恋愛だからといった話でもない筈。こう書くと、なんだか自分がすごく誠実な人間に思えてくるけども、恋愛感情に優先性が見いだせないのだから、恋人がいながら別の人間に性的に惹かれることだって私には当然あり、それが悪いことだとも思えないわけで、私は、自らに抱える平等性に誠実なだけであって、これは究極の自分勝手とも言えてしまうわけだ。恋人ができても、傷つけてしまうばかりだろう。だから私は、恋愛をすべきではないのである。でも、私のこの性質を理解してくれる人だっているだろう。78億人もの人間がいて、78億通りの恋愛があるのだから……。

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