BS松竹東急(全国無料放送・BS260ch)が「よる8銀座シネマ」で「6か月連続ジャッキー・チェン祭り!」を展開中。そのクライマックスとして4月15日(月)から「成龍拳」「蛇鶴八拳」「カンニング・モンキー/天中拳」「拳精」「龍拳」「クレージー・モンキー/笑拳」「少林寺木人拳」の7作品が、ジャッキー・チェンの専属吹替俳優で知られる石丸博也氏による吹替版で放送される。かつて、地上波で放送された日本語吹替版の映画は、放送時間の制約からシーンをカットして再編成されたものが多く、その箇所の吹替は存在していなかった。今回は、2023年に引退した石丸氏が限定復活し、追加収録を行なった「吹替完全版」での放送となる。放送に先駆けて、ジャッキー・チェンの作品に衝撃と影響を受けたという武田鉄矢にインタビューを行い、ジャッキー作品との出会い、ジャッキーのアクションの魅力、そして今回の吹替版による作品の放送のポイントなどを聞かせてもらった。
――ジャッキー・チェンを好きになったのはいつ頃ですか?
若い頃、ブルース・リーが来たんです。ビックリしました。ひっくり返りましたね。渋谷の映画館で観て、「アクションの新時代が来た」と思わせる強烈なデビューでした。でもやっぱりブルース・リーって孤高なんですよね。単独峰のようにそびえ立つアクションスター・武道家で、「こんな人は二度と出てこないだろう」なんて思っていました。あっちこっちで「アチョー!」と聞えてくるぐらいのすごいブームでした。
――みんな見終わったらブルース・リーになった気分で。
そうなんです(笑)。マネしたくなりますよね。ただ、さっき言いましたように“孤高”なので遠い存在だったんですけど、だんだん私にも運が向いてきて、映画にも出させていただくようになって、金八先生(TBS系ドラマ「3年B組金八先生」)もやり始めた時に、今度は香港からジャッキー・チェンという新しいスターが出てきたんです。「これだ!」と思って飛びつきましたね(笑)。ジャッキーさんは大物になっていくんですが、こう言ったらジャッキーさんに悪いんですが、「この人の安い映画ほどチャーミングな映画はない」って思うんですよね。
――そこが魅力でもあったんですね。
はい。予算ももちろん少なかったと思いますけど、何の仕掛けもないんです(笑)。最初に見たのは「ドランクモンキー 酔拳」(日本公開1979年)でした。これがヒドい作品で、スクリプターを雇えなかったんじゃないかって思うくらいだったんです。映画には“記録”という仕事がありまして、撮影で、動いておいて、カットがかかったら、その時の状態を覚えておいて、次に同じ状態から撮り始めるわけですが、それが雇えなかったらしくて、カットごとに小物の位置が違ってたり、無くなってたり。暗黒街でジャッキー・チェンと悪者の対決があって、そこでジャッキーは瓢(ひさご)に入ったお酒を飲むんですが、飲んだ後、瓢は倒れてるけど、少し戦って、また飲む時はすごく取りやすい位置にあるんです、瓢が(笑)。
――細かいところは気にしない感じがいいですね(笑)。
そうなんです。それを見た時に、設備やスタッフにお金を掛けられないんだなって思いましたし、多分ジャッキーさんも「だったら体を使うしかない」って思ったんでしょう。断固たる決意があるんですよね。それが後のジャッキー・チェンの“体を使ったアクション”へとつながっていったんだと思うんです。「カンニング・モンキー/天中拳」とか「クレージー・モンキー/笑拳」といった一連の作品の魅力は、そういう部分だと思いますね。あと、“ヒドい作品”と言いましたけど、それはダメだという意味ではありません。「こんなことやりたいなぁ!」っていう衝動に駆られました。その時、私も若かったですから「腕一本折ってもいいや」って思うくらいに衝撃と影響を受けました。
――ブルース・リーとは違う衝撃があったんですね。
はい。それとちょうど相まって、いわゆる“アクション”なんですけど、全く違うアクションが出始めるんですね。「酔拳」を観るより少し前ですが、「ロッキー」(シルヴェスター・スタローン主演/1977年日本公開)がやってきたんです。「ロッキー」も予算がない作品で、移動車も雇えなかったくらいでしょ? ロッキーが街を走り出して、スラム街を抜けるんですが、画面が揺れてますもんね。あれはきっと荷物車の後ろを開けて、そこから撮ったんでしょう。でも、それがかっこいいんです!見せ場がないので、ロッキーは生タマゴを飲んだりしていて、映画の見せ方が“体”なんですよね。フィジカルで映画を作るんだっていうところがたまらなく面白かったです。
――映画の面白さと予算のかけ方は別だということですね。
そう思います(笑)。ジャッキー・チェン以外でも、「ロッキー」もそうでしたし、それよりもう少しさかのぼっていくと、マカロニ・ウエスタン(1960年代から1970年代前半に作られたイタリア製西部劇を表す呼称)から脱却したクリント・イーストウッドがアメリカで「ダーティハリー」シリーズを始めたんですが、これもセットにお金を掛けられなくて全編ロケなんですよね。“体を張る”というのと“無理をしてでも見せ場を作る”というのと“お金がなくても決して恥じない”ということが相まって、カンフーで体を使って“刑事モノ”でというので「刑事物語」(※1982年公開、武田鉄矢主演)につながっていったんです。
――ジャッキー・チェン、「ロッキー」「ダーティハリー」が、「刑事物語」を生んだわけですね。
一番の影響はジャッキー・チェンでしたね。ジャッキーの体当たり演技に関しては痛々しさを感じるほどで、「スネーキーモンキー 蛇拳」ではラストシーンで大立ち回りをやった後、勇んで決闘場から出てくるところでバーン!とエンドマークが出るんですが、前歯2本ないんです。誰かの拳が一発当たっちゃったんですね。歯医者に行ってる時間もないので、そのままカメラを回してるんです。そういうふうにジャッキーの映画は危険がつきものなので、一番危険なアクションシーンはラストに撮るんですよ。なぜかというと、ケガして使い物にならなくなる可能性があるからで、これは私も「刑事物語」でやられました(笑)。
――確かに、アクションでもしケガでもしたら他のシーンの撮影スケジュールに影響が出ますから。
はい(笑)。でもね、すごく気になるんですよ。最後に大立ち回りが待ってると思うと、そのことがずっと頭の隅にありますから、常に緊張感もあるワケです(笑)。私たちのようにB級映画を撮る者にとってはジャッキーはお手本でした。その後、ジャッキー・チェンはお金持ちになっていくんですけど、それでも彼の体を張った演技は好きですね。
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