4月16日に放送された野球トークバラエティ「ダグアウト!!!」(毎週火曜夜10:00-11:00、BSJapanext<263ch>)。今回のゲストはヤクルト時代に開幕投手を2度経験したギャオス内藤と、1990年代ヤクルトの不動の1番センター・飯田哲也。ヤクルト同期入団コンビの2人による、怖い先輩による「関白宣言」エピソードが明らかになった。
ゲストの現役時代からプライベートまで、野球界のアレコレを深掘りしていく“球界アレコレ話のコーナー。話題は、内藤と飯田が選ぶ「ヤクルトでいちばん怖い先輩」について。MCのますだおかだ・岡田圭右は野球ファン目線で当時のヤクルトを思い出すが、“怖そうな人”という印象に当てはまる人物は思い浮かばないようす。しかし内藤と飯田は「あの人しかいない」と満場一致で池山隆寛の名前を挙げる。
豪快なスイングが特徴で「ブンブン丸」の愛称で親しまれた池山。5年連続30本塁打を達成するなど、19年もの間ヤクルトで活躍した名手だ。世間的にはあまり厳しいイメージがない池山だが、内藤・飯田によると当時はとても怖かったという。「試合中にパンチ普通にしてきました」“じゃれあいのようなパンチだった”とフォローを入れつつの発言だったが、スタジオには驚きと笑いの声が響く。
たとえばアメリカのアリゾナ州ユマでおこなわれていた、ヤクルト1軍選手が参加する“ユマキャンプ”で池山と同部屋になったことがあるという飯田は、キャンプでのエピソードを語った。
「朝何時に起こせ」「コーヒー淹れてから起こせ」「俺より先寝んな」と、さまざまなルールを言い渡されていた飯田。上下関係に厳しいスポーツ界といえど、たしかにかなり怖い先輩の言動ではある。だがその発言を聞いた岡田は、「関白宣言みたい」と笑いを堪えながらぼそり。言いえて妙な言い回しに、スタジオに大きな笑いが起きる。
だが当時の飯田にとっては笑いごとではない。いびきを出さないように気を遣ったり、池山が寝たのを確認しないと寝れなかったという飯田。また“物の住所”がきっちり決まっていた池山は、整理整頓をしっかりしていたのだとか。そのため「お前これはここに置け」と飯田も“物の住所”を決められることに。厳しい“池山ルール”に従っていたことを振り返り、“怖い先輩”の話を締めくくった。
続いての話題は「ヤクルトでの練習の鬼No.1」。飯田が名前を挙げたのは、内藤・飯田と同じく1986年にドラフトでヤクルトに入団した土橋勝征だ。
「ドバ(土橋)はひたむきに、コツコツコツコツやるタイプ。土橋を見習えとよく言われていました」と当時の土橋の印象を語る飯田。しかし内藤の土橋に対する印象は全然違うようで、「土橋くんはいつも後輩とプロレスやってイジっているイメージしかないんだよねえ」とちぐはぐなエピソードを明かす。だが振り返ってみると土橋が“練習の鬼”だった頃、内藤は「一軍で浮かれていたからあんまり(周囲を)見てない」状態だったそう。
だが飯田も後輩とプロレスをする土橋を見たことがあるようで、「容赦ないよね」と語る。“後輩が痛がっていてもじゃれあいをやめなかった”など具体的なエピソードで盛り上がるるなか、MCの平井理央だけは「もう少し練習のエピソードを…」と冷静に話題をコントロール。脱線を続けていたが、ようやく“練習の鬼”のエピソードに戻ってくるらしい。
たとえば飯田が練習後に「1時間打っとけ」と言われたときは、ボールを転がして「打ちました」と言うタイプ。しかし土橋はコツコツ1時間打ち続けていたそうだ。お茶目な一面はありつつも、間違いなく謹厳実直だったという土橋の当時の姿を語った。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)