10代の頃にL.A.へ単身ダンス留学し、帰国後はさまざまなアーティストのバックダンサーとして活躍。その後は振付師として安室奈美恵、剛力彩芽、乃木坂46、AKB48、東方神起、宇多田ヒカルなど有名アーティストのステージも多数手がけるWARNER。「ダンスを始めたのは高校生から」という決して早いスタートではなかった彼が、一体どのようにして現在の職業にたどり着いたのか? そのキャリアと、10代のダンサーに伝えたいことを語ってもらった。
――WARNERさんがダンスに始めたきっかけは何だったんですか?
スポーツクラブでたまたま見かけたMTVのMVですね。いろんなダンスもののMVが流れているのを見て、オレもなんか面白いことやりたいなーって。当時、高校の終わり頃だったんですけど、なんか楽しいことないかなーみたいな感じで、若さゆえのパワーが有り余ってたんでしょうね。
――それまでダンスはまったく?
まったくです。だから僕、ダンスを始めたのは遅いんですよ。よく「すごい若い時からやってたんですか?」って聞かれるんですが、僕が高校生の頃は、ダンス系のMVが流行ってて、MTVでもそういう特集みたいなのを組んでたんです。90年代頭だったんですけど、具体的に挙げるならM.C.ハマーとかC+C MUSIC FACTORYとか。とにかくどのMVを見てもカッコよくて華やかで、これはちょっとやりたいなーって。単純にそれだけでしたね。
――最初はスクールで習っていたんですか?
そうですね。ただ僕らの高校時代は、いくら探してもクラシックバレエの教室だったりして、なかなか教われる場所が少なかったんです。周りにダンスを習ってる子もいなかったし。それで、どうしよう?と困っていたら、知り合いがストリートのダンススクールを紹介してくれて、見学して、すぐ通うことにしました。1人で飛び込んでいったので、まぁ行動力はあったかなと。
――それだけ惹かれるものがあったんでしょうね。
かなり鼻息荒かったみたいです。踊りの“お”の字も知らないヤツが「よろしくお願いします!!」って先生のところに突然ズカズカ行って、先生も“すごい勢いの子が来たな”って思ったみたい(笑)。
――10代ならでのパワーというか。
そうですね。本当に若さと勢いだけでやり始めたって感じでした。
――京都出身とのことですが、東京に出たのはいつだったんですか?
京都から、僕はまずL.A.に行ったんですよ。L.A.では現地のいろんなダンスに触れて、ダンスの意識が変わりましたね。京都にいたころはダンスの種類別にレッスンを受けていて、スタイルとしてはそれぞれ別のものって感じだったんですけど、L.A.に行くとそんなの関係ないみたいな。ジャンルとかじゃなくカッコよければいいんだなみたいな感じで、それが今の自分のスタイルに影響を与えているところは大きいと思います。
――東京に来てからはどうだったんですか?
まずは、いろんなアーティストのバックダンサーを本当に暇がないくらいやりましたね。そんな中で、“この作品でダンサーは卒業だな”って自分的に思ったのは宇多田ヒカルさんのツアー“BOHEMIAN SUMMER 2000”(2000年)。大ヒットした1stアルバム『First Love』を引っさげた、伝説的なライブだったんですけど、実はその前からだんだんバックダンサーより振付師という職業に憧れを持つようになっていて。こういう現場には振付師って人がいて、その人が振りを作ってダンサーをまとめてるんだっていうのをバックダンサーをして初めて知ったんですけど、次のステップアップを考え始めた時に、(宇多田ヒカルの)こんなすごいツアーを経験したら次は振付師としてやっていくべきだなとそのツアーを回りながら思うようになって、以降、他の振付師のダンスはもう踊らないって自分の中で決めました。
――表舞台から裏方へ回ることに抵抗はなかったんですか?
一切なかったです。バックダンサーとしては、もうこれ以上ないってくらいの経験ができていて、何より振付師のほうがカッコいいと思ってたんで、もうそこに突き進む!って感じでしたね。自分ならこういう振りを作りたいっていうのがあったり、とにかく自分でクリエイトしたいと思ってました。
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