――本作「飯を喰らひて華と告ぐ」を通じて、学んだことや得たものはありますか。
今作の近藤監督は、30歳になったばかりと聞いたんですけど。撮影のスタイルや手法みたいなものは、僕が仕事を始めた頃…当時、僕よりずっと年上でベテランの監督たちが貫いてきたスタイルとは全然変わってきてると思います。
「なんでこういう撮り方するのかな」「なんでこういう演出なのかな」と思ったりすると、鈍感力を発揮して、「わかんないけどやってみよう」「どこが面白いのかわかんないけど、とりあえずやってみよう」と歩みを進める。その結果、「こういう風にしたかったのか」「こういう風な撮り方をしてたのか」「こういう編集をしたかったからなのか」という発見がありました。今作に限らず、現場ではわからなかったことも、できあがったものを見たときにわかることは少なくないですね。
「自分が現場では理解できなくても、仕上がった作品が面白くなったり、その質を上げることは多々ある」っていう学びは、今回もありました。
――今作は仲村さんが中華料理屋のオヤジ役ということが驚きました。作品に出演する際に「わからないからやってみよう」という気持ちは、今作のオファーの時にもあったのでしょうか。
僕はよく食べ物や飲み物にたとえるんですけど「焼肉が続いたから、そろそろ蕎麦が食べたいね」とか、「暑いからビール飲みたいね」に近いような気がします。
エリートとかカッコいい人の役が続くと、「なんかもうちょっとダメな人やりたいな」と思うことがあるんです。逆にダメダメな感じの人を演じたあとだと「いや、もうちょっと社会的に意味のある作品をやらねば」なんて思ったりすることもあるんですけど。多分、今回「店主役」をやると決めたのは、「なんか最近偉い人の役が多いな」みたいな流れだったのかと(笑)。
自分としては役者の仕事は、「俳優的食欲」に純粋に従ってやってきたんじゃないかなと思っています。
――この物語は店主がトンデモな勘違いの果てによくわからない名言で、誰かの人生に関わっていく物語だと思います。仲村さんが大切にしている言葉があれば教えていただきたいです。
これもいくつかありますけど、年齢で言うと少し上の先輩に言われた「大丈夫、お天道様は見てるよ」という言葉です。言われたときはすごくうれしかったし、「たしかにそうだ」と感じました。
その一方で、その言葉を言われたときは「誰にも見てもらえていない頑張り」について虚しいと感じたり、「この頑張りは誰にも届いてないんだよな」なんてネガティブに考えていたことを見透かされたような感覚もあったのを覚えています。
それ以来、誰も見てないときに頑張ってる自分に対して、時々その言葉を思い出すんです。どこかで誰かが見ていてくれるぞ…と。
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