【漫画】俺らの念仏は必ず届く…熊、油、明々の3人の”蝉”法師たちの凄まじい生き様に「泣ける」「蝉に対する見かたが変わる」など感動の声

2024/07/11 18:00 配信

芸能一般 インタビュー コミック

『男三匹嫁探しの珍道中』(『蝉法師』より)が話題画像提供/墨佳遼さん(イースト・プレス)

コミックの映像化や、ドラマのコミカライズなどが多い今、エンタメ好きとしてチェックしておきたいホットなマンガ情報をお届けする「ザテレビジョン マンガ部」。今回は、墨佳遼さんが描く『男三匹嫁探しの珍道中』(『蝉法師』より)をピックアップ。

墨佳遼さんが2024年6月16日にX(旧Twitter)で本作を投稿したところ、4,683件を超える「いいね」と共に、多くの反響コメントが寄せられた。本記事では、墨佳遼さんにインタビューを行い、創作のきっかけや漫画を描く際のこだわりについて語ってもらった。

夏の風物詩・蝉時雨を擬人化した命のストーリー

『男三匹嫁探しの珍道中』(『蝉法師』より)(6/66)画像提供/墨佳遼さん(イースト・プレス)

夏の暑い日の事。熊と油の2人の「蝉法師」は嫁探しの旅をしている。道中、羽化不全を起こしているミンミン蝉を助けると、宗派(蝉の種類)が違うとして一緒に旅すること提案する。尼(メスの蝉)と出会い、命を残すために念仏を唱える蝉法師たち。それは7年以上の地中での修行を終えた男たちの2週間の晴れ舞台なのだった。

目の見えない熊の渾身の念仏は大気を揺するほど。念仏が尼に届きさえすれば番えるものだと思っていたが、尼も命がけで子孫をのこすために体に不具合のある男を避け、番うことは簡単ではなかった。羽化したばかりの明々(みんみん)は、熊と油の見事な読経に感動するも、番えないこともあるのかと、振不安をおぼえる。そんな明々に熊は「可能性」はなくならないと励まし、発声練習をするのだった。

その後3人の蝉法師は川、その先は海を目指すことになった。道中何度か尼に出会うも番えない3人。そしてとうとう熊の命が尽きてしまう。しかしその最後は清々しく、残された油と明々は燃えるような熊の最後を胸に旅を続ける。徐々に尼と番えるチャンスが増えていくが、最後に天敵である烏に遭遇してしまうのだった…。

作品を読んだ読者からは、「生命力に溢れている」「蝉の鳴き声聞いたら泣くかも」など、反響の声が多く寄せられている。

作者・墨佳遼さん「こんな命がけを当たり前にこなしてるものが、身近にある。」

『男三匹嫁探しの珍道中』(『蝉法師』より)(41/66)画像提供/墨佳遼さん(イースト・プレス)

――『蝉法師』は、どのようにして生まれた作品ですか?きっかけや理由などをお教えください。

元々、創作活動で『天然害虫バスターズ』(以下、天害)という昆虫擬人化シリーズを描いていて、そのなかで描いた「熊蝉法師」に対して、「実は自分は蝉が一番怖い」と言う感想をいっぱい頂いて「へえ…!!」と衝撃を受けたことが、まずありました。

僕は勿論、擬人化が好きだから描いてるんですね。でも自分のためだけに描くなら、擬人化せずに描くことも出来るんですよ。むしろ原型そのまんまで構わないんです。

ただ、僕が描くことで表現したいのは「それそのものたちを見て触れて、僕が感動したり惹かれた魅力を誰かに伝えたい、共有したい」なんですね。

だから昆虫を生理的に無理という人にまで押し付けるつもりはないんですよ。擬人化されてても無理!って人は、全然大丈夫、好きにならなくていいんです。でも、姿が苦手だけど興味ある、とか、フシが無理だけど色は綺麗だと思う、虫の形そのものでなければ平気、とか、そういう人、いっぱいいるんです。

ここで「キャラクター」の出番なんですよ。

僕はキャラ(人格+擬人化という技法)は凄い力を持ってると思っていて、勿論基本は、自分の「大好き」「最高」が土台にありますが、上でも述べたことをなんとかかんとか、魅力的な興味深い「面白さ」を「恐い」と思う部分をなるべく払拭して届ける、その窓口に「親しみやすさ」に繋がる「人に通ずる(理解できる)表現(擬人化)」があると思っていて。

何人かの親御さんから「自分は大人になるにつれ、虫が駄目になってしまったが、子供は虫好き。好きな虫を見せに来てくれた子供に悲鳴を上げて突き放してしまい、はっとしたときにはショックを受けている子供の顔。親として、子供の好きなものを認めて一緒に楽しんであげたいが、どうしてもできない。そんななか知った天害のキャラは、虫の原型そのままではないのに、特徴はしっかりあって、初めて遠目でも蝶を識別出来た時、いつもの公園の空間が広がるような感覚があった。虫は今も苦手なままですが、我慢も無理もせず、子供と一緒に楽しめる「かたち」があることが嬉しかった。」というようなメッセージを頂いて、ガッツポーズをしたのを覚えています。

ほんとに嬉しくて泣いたくらいです(笑)、これがキャラクターの力だと信じていましたが、ちゃんと力を発揮したことを伝えてくれる方いたことで、改めて、僕が信じていたキャラの力は間違ってなかったと。

あと、とんでもない不運が重なって寝たきりになってしまった時期がありまして。

30年近くどんな不調の時でも何かしらは描けたんですが、人生で初めて「線の引き方もわからない」という落ち方をしました。仕事もできない、生活どころではない、丸二年かけてほそぼそこなせる仕事をこなしながら療養して、少し気が上向いた時に「ああだこうだ子難しい事一旦全部脇に置いて、これが好きだだけで、大好きだと思うものを思い切り描こう」と思ったのも、『蝉法師』を描く力になりました。

シンプルに「すごいな」と思わせてくれる身近な存在、小学生の時田舎の夏といえばお盆と蝉でしたんで、お坊さんの読経の上から降ってくる蝉の声が念仏に聞こえるという感覚を大人になった今、描いて共有できるのではと思ったというのも大きいです。

――今作を描くうえで、特に心がけているところ、大切にしていることなどをお教えください。

生き様と在りよう。としかいいようがないです。

どう生きてどう死ぬのか、どう在ったのか。

自分の理想で描くというより、観たまんま、感じたまんま、言語化できないそれをなんとかそこに表現してみた「人に共有したい」という感覚です。

――今回の作品のなかで、特に気に入っているシーンやセリフがあれば、理由と共にお教えください。

P90-91の見開きです。

『蝉法師』は、もともと同人誌ではあったものの、商業復帰の為に落ち着いて原稿にする、というのも目標の一つだったので、今まで全て一人で描いてきて限界も感じていたので、長年の信頼のある亀ヰリヨウさんと言う方にアシスタントで入ってもらい、アシスタントさんと原稿を仕上げる特訓をさせてもらい、あの見開きの墓石を描いて貰いました。

「とかく潔く、黒とかベタでなく闇って意識でどんと黒く、光はぼかすとか削るじゃなく「眩しい」って意識で!」ってかなり抽象的な指示を出して資料を渡したらアレが上がってきて、これこれこれー!ってなったんですよね。

これから死にゆく今まさに生きているものたちの念仏が、すでに死んだものたちの上で鳴り響く、もっと言えば、既に死んだ(生きた)者たちの強固な土台あって生の合唱がある。って言う、すべての物語はあのシーンに帰結するので、本当に好きなページになりました。描いてくれた亀ヰさんにほんとに感謝です。

描いてくれただけでなく、寝たきりからの復帰の中作業中通話も繋いだりさせて貰ったんですが、本当に励まされたんです、正直この方なくして描き切れなかったと思います。感謝してます。

――蝉という日本の夏には欠かせない生き物をモチーフにされています。「蝉の鳴き声聞いたら泣くかも」「いのちの力強さを感じる」など多くの反響をどう感じていらっしゃいますか?

そんな大そうなもの描いてるつもりないです(笑)

むしろ、こんな命がけを当たり前にこなしてるものが、身近にある。それに気づいて、ぞっとして頂きたい。僕が常日頃感じる感覚です、共有です(笑)

個人的には気づくことさえできれば誰でも描ける、というものを描いたつもりなので、親御さんから頂いたメッセージのように「なんてことない身近」に気づけたら、玄関を出て半歩にすさまじい空間の広がりを感じられると思うんですね、日常をちょっと元気に上向きになれるのって、そういう気づきなきがするんです。

その助力になれたら嬉しいです。

――墨佳遼さんご自身や作品について、今後の展望・目標をお教えください。

今はなんというか、あんまり無理やり必死に頑張りたくないです(笑)

36年必死に絵で生きてきまして、今やっと「少し落ち着いてもいいかな」と思えてきたので、勿論ダレるつもりはないんですが、今後の展望は作品とは関係ないんですが、現在連載(になるかなあ…わかんないですが)準備をしていまして、そちらを勝ち取れましたら、やっすいログハウスを買いたいなと思ってます。

外に出たがりのクセに、自分を含めた人間が嫌いで、家を出た先も家がいい、という感覚がここ数年本当に強いので、週に三日ログハウスに籠って少し心細く、誰かが居てくれるって嬉しい事だな、という事を感じる時間が欲しいと思っています。

そのためにも、絵は一生頑張ります。

むしろ、描くためにその環境を作りたい、という感じです。最低限描き続けられる環境があるなら、もうそれ以上の展望はないです。

――最後に、作品を楽しみにしている読者やファンの方へ、メッセージをお願いします。

得難い、この一言に尽きます。

ずっと一人で描いてきました、自分の好きなもの、感動させてくれたものを届けられない未熟な期間が本当に長かったです。現在まで一緒に仕事をしてくれる担当さんたちが僕の作品を見つけてくれて、印刷所の方、書店の方、そこに運んでくれる運送関係の方、様々なかたのお陰で誰かに一冊届き、届いた人が「好き」と言ってくれる、これは得難い奇跡以外の、何者でもないです。

誰も見てない時間が長く、そっちが本質なので、これからも粛々と一生死ぬまで描いていられたらと思います。

ありがとうございます。