反町隆史主演ドラマ「GTOリバイバル」が呼んだ熱狂の正体 懐かしのキャストと一緒に作り上げた復刻版が話題を呼んだワケ

2024/07/17 08:30 配信

ドラマ コラム

反町隆史主演ドラマ「GTOリバイバル」が呼んだ熱狂の正体(C)藤沢とおる/講談社/関西テレビ放送/アベクカンパニー

反町隆史が主演を務めた、伝説の学園ドラマ「GTO」。2024年4月1日には「GTOリバイバル」というタイトルで“令和の鬼塚英吉”が描かれ、大きな反響を呼んだ。7月12日(金)に同作のBlu-ray&DVDが発売されたいま、あらためてドラマ「GTO」と「GTOリバイバル」がもたらした熱狂の正体に迫る。

時を経て変化を遂げた鬼塚と仲間たち


反町演じる鬼塚英吉は、元暴走族のリーダー。鬼塚は高校教師になる夢を叶えるべく、三流大学を7年かけて卒業した…という経歴をもっている。努力の動機は“女子高生と付き合い、楽しく生きられる”という不純すぎる教師像。つまり反町は、コンプラが叫ばれる現代においては大きな批判を浴びそうな、不真面目で享楽的な人間だった。

友人から紹介されて私立高校・武蔵野聖林学苑の教員面接に挑む際も、横柄な教頭から邪険な扱いをされてしまい頭が沸騰する鬼塚。あるできごとをきっかけに短い堪忍袋の緒が切れ、教頭に対して暴力沙汰を起こして「願い下げ」とまで啖呵を切る。しかしその一部始終を目にしていたのが、“購買のおばちゃん”に扮していた同校の理事長だった。

生徒に向かって「クズ」「生きていたら人に迷惑をかける」と心無い言葉をぶつける教頭に、「言葉の暴力は許されんのか!?」と義憤を燃やした鬼塚。「人として大切なもの」を優先する鬼塚の姿勢に惚れた理事長の鶴の一声で採用となる。鬼塚は学苑始まって以来の大問題児が集められた2年4組を受け持ち、生徒が抱えるさまざまな問題に荒削りながらも立ち向かっていく。

破天荒な鬼塚が取る手段は、いつも生徒たちから「それでも大人かよ!?」と驚かれるものばかり。かつて従えていた傘下の暴走族のメンバーを引き連れてお礼参りに向かったり、生徒の家の壁を物理的に打ち壊したり、いじめ加害者の女生徒を屋上から吊るしたこともある。だがそうした前代未聞、現代であれば壮大な炎上に見舞われそうな問題行動も、すべては生徒のことを思っての行動だった。

26年ぶりに帰ってきた「リバイバル」でも、そうした鬼塚の姿勢は変わっていない。体当たりで温かい鬼塚から大切なことを教えてもらった生徒たちは、26年ぶりの顔合わせでも恩師へ笑顔を向ける。ヒロイン・冬月あずさを演じた松嶋菜々子や、鬼塚の親友の不良警察官・冴島龍二を演じた藤木直人も登場。連続ドラマでの役柄はそのまま、長い年月を経て復活を遂げた豪華キャスト陣たちがリバイバル版を盛り上げる。

しかしそれ以上に注目すべきは、同番組の視聴者から「懐かしい」という言葉と同じくらい「鬼塚英吉みたいな男になりたい」「これだけ時代が変わってもクソカッコえぇのは健在」「鬼塚英吉は俺の憧れ」といったコメントが集まっている点だ。

「コンプラ無視の大人」が輝く瞬間


さまざまな配慮やコンプライアンスが求められる現代において、鬼塚の行動はまったくルールの規範から外れた行動だ。たとえば悪いことをすれば子どもでもゲンコツを落とす“雷オヤジ”のようなもの、といえばわかりやすいかもしれない。「暴力はどんな理由があってもダメ」「子どものトラウマになりかねない」「近所トラブルになりかねない」といった正しい声がSNSを通じて一挙に広まるいま、“雷オヤジ”の話は聞かなくなった。

だがさまざまな閉塞感を抱えている現代社会において、そうした“雷オヤジ”を嫌っている人間が全員というわけでもないようだ。例として挙げるなら、2024年1月に放送されたドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系)が記憶に新しい。令和の現代にやってきた“昭和のオヤジ”が、現代人なら当然持ち合わせているコンプラを無視した言動で周りを振り回す同作。基本的には困った大人ではあるものの、ときにハッとさせられる言葉が飛び出す。多くの現代人が考えさせられることになった名作だ。

鬼塚英吉も、“隣”にいたら付き合い方に困り果てることだろう。ブレない自分の正義があり、守るべきモノのためにはあらゆる障害を破って突き進む。常識が通じない鬼塚の姿勢は、実際に自分が同僚という立場であればさまざまな迷惑を被るのは想像に難くない。

それでも鬼塚が愛され、26年のときを経たいま「リバイバル」がこれほど話題をさらった理由はなんだろうか。もちろん過去の名作という話題性も大きいが、間違ったことをしたらしっかり叱る“雷オヤジ”的存在の希少性が大きいように思う。

見ず知らずの人はもちろん、仕事であっても職責を超えた範囲で人と関わるのはとても面倒だ。それが間違いを正すという関わり方であればなおさら、必要なエネルギーは莫大になる。多くの人は間違いを犯す人を見ても見ないふりをするし、許せなくてもぶつかるよりそっと離れるという選択をするだろう。

だがそんなとき、隣に“雷オヤジ”がいたとしたら。自分が信じる正義に向かって、しっかり間違いを糾弾する存在がいたら。理不尽な問題にぶつかることも多い社会人にこそ、それは爽快な“もしも”だ。

コンプラや和合を大事にして、“穏便に済ませる”を良しとしない鬼塚英吉。「GTOリバイバル」は、現代人がどこかで求めている“雷オヤジ”像を蘇らせたことでここまでの熱狂を呼んだのかもしれない。