約半世紀にわたり第一線で活躍…大竹しのぶ、世界的ヒット作「インサイド・ヘッド」で示す“声の役者”としての充実ぶり

2024/07/22 11:10 配信

ドラマ 映画 コラム

大竹しのぶ※2024年ザテレビジョン撮影

“感情”たちの世界を舞台にした物語を描き、「第88回アカデミー賞」長編アニメーション賞を受賞した「インサイド・ヘッド」(2015年)の続編となる「インサイド・ヘッド2」が8月1日(木)に日本公開を迎える。前作では小学生だった明るく元気な女の子・ライリー(CV:横溝菜帆)が、高校入学を控えたティーンエージャーへと成長した姿が描かれ、「カナシミ」など前作から引き続き登場する“感情”に加え、今作では「シンパイ」や「ハズカシ」など、“大人の感情”たちが新たに出現。日本に先駆けて6月14日から全米をはじめ世界各国で公開されると、既にピクサー作品史上最高の世界興行収入となるなど、大ヒットを記録している。そんな今作で前作に引き続きカナシミの日本版声優を務めるのが、俳優の大竹しのぶだ。放送中の7月期“月9”ドラマ「海のはじまり」(毎週月曜夜9:00-9:54、フジテレビ系)での好演も話題を呼んでいる大竹の俳優としてのキャリアについて、音楽をはじめ幅広いエンタメに精通するフリージャーナリスト・原田和典氏が解説する。

まさにファースト・コール・アクトレス


音楽界には“ファースト・コール・ミュージシャン”という言葉がある。プロデューサーがレコーディングやライブの人選に取り組む時、「何を差し置いてもこの人にお願いしたい」と真っ先に声をかけたくなる、実力・個性・信頼・協調性のすべてにおいて抜きんでた音楽家。その地位にいるのがファースト・コール・ミュージシャンたちである。

この「音楽家」を「俳優」に、「レコーディングやライブ」を「ドラマや映画」に置き換えると、大竹しのぶはまさしくファースト・コール中のファースト・コール・アクトレスということになる。活動を始めて半世紀、ありとあらゆる役に取り組み、テレビ、ラジオ、映画、舞台、CMなど数多くのメディアで魅力を振りまいてきた。浮き沈みの激しいであろう芸能界の中で、常に第一線に立ち続けているのは、一種の至芸である。

1974年に放送されたテレビドラマ「ボクは女学生」(フジテレビ系)の一般公募に合格したのが、この世界に入るきっかけだった。翌年には五木寛之氏が原作、浦山桐郎氏が監督・脚本を手掛けた映画「青春の門」のヒロイン・織江役で本格的にデビューを果たし、仲代達矢、小林旭らレジェンド級の役者たちに混じって快演した。

同年には連続テレビ小説「水色の時」(NHK総合ほか)のヒロイン・松宮知子役も務めた。「第48回キネマ旬報賞」助演女優賞や「第18回ブルーリボン賞」新人賞に輝いたのもやはり1975年のことで、いかにこの新進俳優が芸能の世界や視聴者から大きく歓迎されていたかが分かる。

大竹しのぶ※2024年ザテレビジョン撮影

華々しい出だし…その後も活躍ぶりは枚挙に暇がない


この世界は出だしが快調であっても、そのまま長く勢いが続くケースは決して多くない。だが大竹は例外に属する。キャリア半世紀になろうかという現在も常に第一線にいて、手応えいっぱいの演技で見る者を引き込む。1977年には「第1回日本アカデミー賞」助演女優賞、1978年には「第2回日本アカデミー賞」最優秀主演女優賞を受けて、その勢いのまま80年代に突入。映画「麻雀放浪記」(1984年)では「第8回日本アカデミー賞」助演女優賞を受賞、映画「波光きらめく果て」(1986年)では「第29回ブルーリボン賞」助演女優賞と「第10回日本アカデミー賞」助演女優賞を獲得。

テレビドラマ「男女7人夏物語」(1986年、TBS系)、「男女7人秋物語」(1987年、TBS系)、「心はロンリー気持ちは『…』」シリーズ(1986~88年、フジテレビ系)、映画「いこかもどろか」(1988年)などでの明石家さんまとの名コンビぶりを覚えていらっしゃる方も多いだろう。1986年からは、戯曲「奇跡の人」で主人公アニー・サリバンを演じ、こちらも高評価を得た。

以降も数々の栄誉に輝き、1976年以来続けている音楽活動に関しても数々の作品を発表。私は「シャンソンの女王」ことエディット・ピアフの楽曲に取り組んだアルバム『SHINOBU avec PIAF』を聴いて、歌手・大竹の底力に酔った。彼女は2016年の「第67回NHK紅白歌合戦」(NHK総合ほか)に初めて歌手として出場し、ピアフの「愛の讃歌」を熱唱している。過去、応援ゲストやゲスト審査員として出演したことがあったとはいえ、どちらにしても「審査する側」と「される側」の両方で紅白に登場した経験のある人など稀なはずで、ここにも大竹の卓越した適応力、軽快なフットワークが見られる。押しも押されもしない大物でありながら、決まりきった評価に満足せず、いろんな時代の、いろんな物事に「大竹しのぶ」を適応させることを心から楽しんでいる、という趣だ。