【連載】三浦瑠麗が「夫婦」のあり方について問う新連載「男と女のあいだ」がスタート #1 夫婦は何のためにあったのか

2024/07/31 18:00 配信

芸能一般 コラム 連載

三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」バナー©︎Ari HATSUZAWA

国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏。夫婦にまつわること、男女にまつわることをご自身一人になってから初めて語るエッセイ「男と女のあいだ」の連載がスタートします。

なぜ男と女はすれ違うのかーー。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったという三浦氏。ご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆくエッセイです。「男と女のあいだ」第1回は、夫婦の関係性についてお届けします。

#1 夫婦は何のためにあったのか

ある日、夫が帰ってこなかった。そのタイミングはわたしよりもメディアが事前の情報リークで詳しく知っていたようで、朝、記者たちが会社前に詰めかける光景というのを初めて見たものだから吃驚(びっくり)はしたものの、やはり数時間後に身柄が拘束されたという一報をメディアの速報で知り、そうか、そういうものなのだなという受動的な感想しかなかった。

何もわかっていない人に「わかりません」とわざわざ言わせるのがニュースの作り方なのだというのも、事実として知ってはいたが、押しかけて来た番組レポーターにマイクを向けられたことで初めて経験した。わたしは本人ではないし、本人自身が何もメディアに話すなと釘を刺されていた以上、二度、三度同じことを聞かれても同じようにしか答えようがない。沈黙は雄弁ではない。それが自分にとって不利であることは分かっていたが、拘束されている人がいる以上、部外者が口を開いて不用意に検察を刺激することは避けたかった。

むしろ、わたしは事件に一切関係していないのだから、詳しい情報があるなら知りたいのはこちらの方だった。マスコミは、事件について夫の弁護士にきちんと取材してそれを掲載することへの興味は薄かった。あとから聞いたところでは、会社の取引先など方々へ、わたしが何か関係していないかだけを聞き回ったのだという。関係していないと見るやマスコミは関心を失い、憶測を何も訂正しないまま潮が引くようにいなくなった。そして、夫には「名前」が与えられていなかった。わたしの夫であるという他には、世間に意味合いを持たない人だと考えられたのだろう。



現在進行中の裁判についての意見を述べるつもりはない。ただ、裁判が進んでいく中でわたしにもその記録を見る機会が与えられたことで、はじめて資料にあたり、法廷で争われている法的な論点が何なのかをきちんと理解することができた。逮捕前、任意聴取に応じていた彼から口頭で概要の説明を受けたときと、核となる論点はそれほど異なるものではなかったが、周辺事実の多くははじめて目にすることだった。わたしのよく知る彼の貌(かお)もあれば、知らない貌もあった。人は多面体である、と文藝春秋に当時語ったことそのままではあるのだが、21年間共に過ごしてきた人のことを受け止めるつもりはあっても、その時々において胸がつかえる気持ちはもちろんあった。わが国における否認事件では「人質司法」と呼ばれる先進各国で他に類を見ない長期拘留が圧倒的多数を占めるが、元夫の拘留が1年3ヶ月に及んだことも、これまでのわたしの人生経験ではよくわかっていなかったこの国の新たな貌だった。

かつて夫であった人についてわたしが口を開いても、どのみち公平な意見になりはしないだろう。わたしの性格からして、相手の立ち居振る舞いに対する期待も高かろうし、反対にしんみりとした同情もある。
トラブルの存在を知ったときに、何らかの「民事」トラブルであると思っていたわたしは、弁護士にちゃんと相談するようにということと、とにかく早く和解して解決してくれとしか言わなかった。だが、刑事は民事のように両者痛み分けができる問題でもない。素人のわたしが助言してどうにかなることでもなかろう。
どうにもできない以上、夫がいなくなった後に苦しんだとすれば、その結果がどうなるかではなかった。さらに言えば、自分の身に降ってきた中傷がその中心を占めるわけでもない。むしろ、長年傍らに寝ていた人がそのような意味合いを持ちうるトラブルをここ数年静かに抱えていたということの重さが、だんだんと芯に堪えるように身に染みてきたことだった。そこまで分かってあげられなかった自らの不明を恥じたというのもある。

身内に不祥事が起きるというのは、争われている結果がどう転ぶにせよ恥ずかしいことであるのは当たり前で、はじめはあまりに無防備な自分のバカさ加減に呆れてしまった。むしろ、このような事態が起きうるかもしれないということをまったく考えなかった自分の愚かしさに腹が立った。人一人が突然いなくなるというのはけっこうな影響があるもので、半年ばかりは忙しかった。その後も、舅が急に亡くなったことで葬儀や家の整理などに追われた。
少し落ち着いてきたころからだんだんと考えるようになった。自分が咄嗟(とっさ)に感じた愚かしさとはいったい何だったのだろうか、と。愚かしさは、人をすぐ信じてしまう質のわたしの無防備さに向けられたものなのか。

彼の会社の元従業員が、退職後も違法アクセスによりわたしと娘のスケジュールを入手していたことを自ら認めたのも、裁判の過程を通じてだった。気付いた時は既に遅く、漏洩した情報により、その後半年間ありとあらゆるプライベートな場での尾行や隠し撮りが続いていた。
だが、こうした物事はすべて済んだことで、一つの具体例でしかない。夫婦関係を解消するに至った核心は何かといえば、それはやはり、はじめて見る人のように改めて夫を見たことだろう。
彼自身の起こした問題であるとはいえ、不憫だという気持ちが今に至るまで消えたことはない。20年来の友人として見捨てるつもりもない。先日、ガリガリに瘦せ細って帰ってきた姿を見た時はさすがに胸を衝かれた。とはいえ、互いに独立した個人だ。子どものようにはいかない。ましてや、男性というのはこちら女性の側からすると心情がよくわからないところがある。

それでも、元夫婦であれば説明はまるでいらないのか。そうではないだろう、という気持ち。あるいは、自分がすでに人生のなかで十分に越えてきたと思っていた崖をふたたび前にして立ち、これまで共に越えてくれたはずの相手をふと見たら、彼は全然別の時空にいた、というようなことだろうか。
夫婦は一心同体ではありえない。それを恰(あたか)もそのように見せかけ、もやい綱で結びつけることで夫婦という船は航行している。そのもやい綱が切れたときに、わたしは夫の不在の中で結婚というものの意味に向き合うことになった。

【写真】三浦氏がかつて夫婦で住んでいた部屋本人提供写真