【連載】三浦瑠麗が「夫婦」のあり方について問う連載「男と女のあいだ」 #3 男を巣立たせるということ

2024/08/28 18:00 配信

芸能一般 コラム 連載


家庭における男の存在意義について、わたしが先(せん)に落語家の師匠に問うたのは、現代における夫婦(めおと)論についての文脈であった。万が一、つれあいがいなくなれば、男は所在無いだろう。なぜ、その不安を感じて変わろうとしないのだろうと訝(いぶか)った。先立たれずとも、それぞれが長い老後の入り口に立った時、別々に生きる道がないでもない。つれあいの献身を当たり前のように受け取り、その代わり稼ぎを入れる。それが成り立っていた昭和のサラリーマン全盛期ならばまだ良いだろう。女には結婚よりほかにあまり良い選択肢がなく、娘たちは中流家庭で暮らす道筋から足を踏み外さないことが大事だとされた。いまの時代は女にも他の選択肢がある。

仮に、女が日々していることをすべて赤の他人に頼もうと思えば大変だ。住み込みの奉公人など廃れて久しいうえ、通いにしても労働条件を定めて雇い、辞められないよう気兼ねしながら教育するだけでどれだけの労力が必要か、考えてみれば気が遠くなる。だからこそ、そういった面倒なことをすべて会社にやってもらい、技能のある人を派遣してもらう外注サービスは価格が高く設定されている。ケア労働というのはもともと労働者にとって報酬が高い職種ではない。大変な仕事でなり手が限られていることもあり、適当な人は得難い。仕事の質を問えば猶更(なおさら)のこと、細かいところまでよく行き届く人、大切な人や物を任せられる人、心根の優しい人は値千金(あたいせんきん)の人材である。

家業をもつ女将(おかみ)さんという立場ではなくとも、ほとんどの場合、家庭は妻が回している。細々としたことにまで気の付く男性は少ないし、多くは神経質でもないだろうから、まるで妻に任せっきりにしてしまい、結果として自分の裁量や居場所がちいさくなることに無頓着である。さすがにわたしの世代には少ないだろうが、妻が入院などすれば生活できない男性というのが年長の世代にはいる。ちょっと吃驚(びっくり)する話だが、夫の食事をどうしよう、物の在り処も分からないのにと、自分が入院するのを躊躇(ためら)う女性がいるのだという。そもそも必要な物の在り処を自分で把握するか決めておかない男性というのは、日常生活の自己決定権を放棄してしまっている、誠に生きづらい存在なのではないかと思うのだけれども。価値観や生活スタイルが昔のまま歳を取った妻帯者が、急に単身になって暮らしたりすると、往々にして行き詰る。



母がどれだけのことを毎日してくれていたのか、子どもを産んで初めてそれが分かるようになった。まして手をかけて五人も育て上げるというのは尋常ならざる苦労だったろう。ケア労働のしんどい部分は、相手の事情に寄り添わねばならないところである。外で働く人間は仕事に優先順位をつけなければやっていかれない。何年か働いて仕事に慣れれば裁量も与えられる。家族のためにのみ働く女は、相手の細々とした要求が次々降ってくるのに対して、必ずしも自分主導できっかりと優先順位をつけられず、そのためにあっちへもこっちへも仕掛かりが増え、休む暇がない。赤ん坊やちいさい子どもの要求ははてしない。病人の世話もそうであろう。これは相当な辛抱ができる人でないと務まらない。

わたしがちいさい時分に風邪を引いて熱を出した時などには、母が足の裏をずっと揉んでくれ、うとうとして目覚め、少し楽になるとりんごのすりおろしを作ってくれた。居間から続く畳の部屋の襖を開け放して横になり、母が台所で立てる音を聞くとはなしに聞いている。ああ、ほうれん草の根っこの泥を丁寧に水で落として洗っているのだなと思ったり、煮干しの出汁をひくほんのりと甘く香ばしい匂いで夕刻が近いことを知ったりする。自由の利かない病人に寄り添うことがどれだけの時間を費やし、また配慮を必要とするのか。その場その場は感謝しても、治るとすっかり忘れている。

いま、わたしは娘と5年ぶりくらいに密に接している。学校から帰ってくるときにどんなおやつを用意するか。ほぼ毎日考える。リンゴを煮たのであったり、フルーツケーキであったり、冷やし汁粉であったり。ときどき、フライパンで両面を焼いた生地にバターと砂糖をまぶしたクレープを作ったりすると、ただいま、と言ってその匂いを嗅いだだけで思わず笑みがこぼれているからこちらは嬉しい。反対に娘が、生憎クリスマスイブにインフルエンザにかかってしまったわたしの足を揉んでくれたこともあった。スーパーで一緒に買い物をした後、坂に差し掛かると重い荷物を代わって持とうとするその思いやりなどに、ときどきふと涙することがある。もちろん子どもは自分の欲望が先立つものだ。しかし、わたしのやり方をよく見ていて、ちいさいながらに我欲を戒め、それを懸命になぞろうとしているのである。

【写真】娘とともに作ったクッキー本人提供写真