国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏によるエッセイ「男と女のあいだ」。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆきます。連載第5回は、「不安へのアプローチの仕方」についてお届けします。
旅に出ようと思ったのは、眠りがどうも浅くなっていたからだった。夜、倒れ込むように寝に落ちるということがなくてつい夜更かしをし、子どもを送り出してから朝寝をするようになったら、夜よく眠れなくなった。原稿を書くには夜から朝にかけてが一番いい。それは子どもを育てたり家事をしたり、昼間人と会う仕事をしながら、ひとりになって書き物をする時間を確保するために編み出した知恵だったのだけれども、本当に寝不足でがむしゃらに働いていたころよりも、まとまった時間寝られないことをストレスに感じるようになった。
その気になれば寝たいだけ寝られるにも拘らず、却って睡眠に過度な神経を使うようになったのである。若い頃に良く知っていた、なじみ深い目的の空白ともてあました時間が突然帰ってきたのだから、この感じは初見ではなかった。そういう時は、場所を変えて動いた方がよい。
そこで、突然思い立って今年はイタリアで誕生日を過ごそうと思った。歳の離れた妹とわたしは、どういうわけか同じ誕生日を共有している。妹夫婦と落ち合って一緒に過ごした今回の北イタリアの旅では、一度も不眠になることはなかった。見るもの聴くものが趣と変化に富んでおり、朝から晩までよく歩き回ったからである。これまで、研究する対象が海外であったのもあり、イスラエル、イギリス、アメリカなどにはよく旅をしてきた。だが、イタリアはわたしにとって特別な場所だった。初めて行った外国だったというのもある。
生まれつき出不精なせいか、旅に出る前には決まって億劫な気持ちに襲われる。そもそも娘によく指摘される通り、わたしは荷造りがあまり得意ではないのである。それなのに、直前にならないとスーツケースを出そうとさえしない。ただ、いざ到着すれば旅に出たことを後悔したためしはない。向こうでは、日がな一日歩き回ってヴェネツィアのバーカロめぐりをしたり、湖畔の料理教室で生パスタやティラミスを作ったり、ヴェローナの古代からある今も使われている劇場を見学したりした。夜も更けたころ、こぢんまりとした音楽会からの帰り、宿のある少し離れた場所へと石畳を歩きながら、昼間の喧騒がまるで嘘のように色とりどりのボートが静かに水面に浮かんでいるのを見て、東京では夜の散歩に出る機会が少ないのを想った。
日本へ帰る日、日昇前にヴェネツィアの水路を白波立てて水上タクシーに飛ばしてもらい、空港に向かう。もう旅が終わってしまうのが名残惜しかった。娘を船室に残し、わたしは高速で走るボートの上に立っている。広い運河に出るとまるで街灯のように見える灯りが暗い水面に点々と立っており、それらが先へ先へと舟を導いていた。それを見て、思った。やはり不安の中身を知ることが一番大切なのだと。不安とは、人生における未知のものへの不安である。生きることとはすなわち知られざる明日を目の前にして生きることであるし、未知の「死」に向かって突き進んでいくことでもある。そう考えれば、わたしが抱いていた睡眠への不安は睡眠そのものへの不安ではなく、不安に陥ること自体への恐れ、すなわち安定への渇望であった。
人間の不安は些細なことにも関わっている。旅行を前にした憂鬱、社交に対する憂鬱。いずれも始まってしまえば、さして大変なことではないのに。心配性の女性が抱きがちな不安というものもある。映画だと、さしずめダイアン・キートンが得意とする役どころと言えようか。幸せとはこうあるべきだとあれこれ思い描くがゆえに不安が生じる。例えば、久々に集う家族の集まりは素晴らしいものでなければならない。したがって、空白をどのように埋めるかについて神経を尖らせる。完全でなければ、という思い込みに囚われすぎて、何気ない余白を、いま自分の手元にある絵の具で塗りつぶしてしまうのだ。
こうしたことはあまりに普遍的すぎて取り立てて述べるほどのことはないし、わたしたち人間に共通する当たり前の行動である。自己嫌悪も不安につきものの要素だろう。わたしたち人間は不安や自己嫌悪に襲われるのが苦痛なので、不安の存在自体を恐れる。それでも人間である限り不安は消えず、それと付き合ってやっていくほかはないのである。
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