プロレス、F1、夜のヒットスタジオ…古舘伊知郎が“マイク一筋40年”のアナウンサー人生をプレーバック!

2017/09/20 08:00 配信

バラエティー

生放送で培った対応力で紅白司会を3年連続担当!


【写真を見る】プロレスでの“まさしく人間山脈であります”、F1での“音速の貴公子”など、おなじみのフレーズを生み出したのが古舘伊知郎だ!撮影=横山マサト


快進撃はどこまでも続く。音楽番組が百花繚乱だった'80年代を象徴する「夜のヒットスタジオ-」(フジ系)で芳村真理とコンビを組んだ際には、持ち前の“生放送対応力”を見せつけた。

「当時『ザ・ベストテン』(’78~’89年TBS系)は新興勢力という感じで原宿のカフェだとすると、こっちは駒形どぜう(東京・浅草で200年続くドジョウ店)のような老舗で。大御所然として王道らしく、大掛かりなセットを造り込んでやっていましたね。それが2時間の内にめまぐるしく入れ替わるんです。あるとき、中森明菜さんの歌前に『あと15秒ぐらいでセットが完成するかな』って横目で計算しながらトークをしていたら、そっちに気が取られて、全然違うタイミングで『なるほど』なんて言ってしまうわけですよ。そうこうしている内に歌をどうぞとなったら、天井に乗って次の曲用の建込みをしていた美術さんのビーチサンダルが、明菜さんの顔の前にバン!って落ちてきて。明菜さん、驚きますよ。でも『あ、びっくりしないでスタンバイを。今ちょっとゴム草履が落ちて来ました。これを天の配剤とでも言うんでしょうか。歌は「難破船」です』と続けてね、もう大変でした。真理さんは時間読まずに『伊知郎ちゃんに全部お任せ』って (笑)、ありがたいけど、アップアップでしたね」

そんな百本ノックが功を奏したか、’94年、ついにはNHKの紅白歌合戦にて、民放アナウンサー出身初の司会(白組)という栄誉にあずかる。

「登山家が一度はエベレストを落としたいように、司会者も一度は紅白をやってみたいものですからね。やっている間は長さもあって『夜ヒット』の比じゃないほど苦しいんですが、終わるとやはり、名誉ですね」

音楽番組で“頂点”を極めるとともに、実況の手腕をいかんなく発揮した「筋肉番付」(’95~’02年TBS系)や、クイズ番組「クイズ赤恥青恥」(’95~’03年テレビ東京系)、一般人参加型バラエティ「しあわせ家族計画」(’97~’00年TBS系)など、多岐にわたるジャンルに挑戦。なかでもトーク番組「おしゃれカンケイ」(’94~’05年日本テレビ系)でゲストからあの手この手で秘話を引き出す軽妙な話術は印象的だ。

「この番組、しゃべらない人は大変でした! そればかり記憶に残っています。関取時代の貴乃花親方などは本当に物静かで、僕は苦し紛れに『しつこく聞く俺の方が悪いんです。じゃ俺の話をします。こんな恥ずかしいことがあったんですよ…どう思いますか?関取』って言ったらようやく『この前、部屋でこんな恥ずかしいことがあって』って重い口を開いてくれて。あの時はもう、完全な捨て身でしたね」

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