国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏によるエッセイ「男と女のあいだ」。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆきます。連載第7回はトラウマを抱えてしまった場合、解消できる手立てはあるのか、ご自身の体験とともに三浦さんの見解をお届けします。
わたしたちは「恥」とともに生きている。アダムとイヴは禁断の果実を食べてはじめて自分たちが裸であることに気づき、樹の陰に身を隠す。『マダムバタフライ』の「蝶々さん」は愛した男に束の間見た夢を踏みにじられ、名誉のために自刃する。『こゝろ』の「先生」は、自分はそんなに大した人物ではないと述べ、友を自死に至らしめたことの告白文を残して死んでゆく。恥が自らと向き合うなかで生じる概念なのか、それとも世間に対峙する中で生じる概念なのかは、殊更に区別しても仕方がない。いずれにせよ、わたしたちは己を外から見るとき、他者からの視点によって自らの存在を照らし出すからである。
経験的にひとつはっきりしているのは、恥とは怒りであるということだ。それが他者に対する怒りであるとき、人は他者を殺めもしようし、己に対する怒りとなったとき、自ら死を選ぶ人もいるだろう。発作的な怒りには、不当さに対する抗議の意志が付随していることもある。恥を理由に自死を選ぶ人は、世間を拒絶し、友や係累(けいるい)を後ろに振り捨ててゆくのだが、同時に自らの死を受け止める観客として社会を必要ともしているのである。人間が恥の意識に囚われている状態というのは、自己と社会とがそのまま接合してしまうような近すぎる距離感のなせるわざでもあるといえよう。
何が恥を生むかには人類で共通する部分もあるが普遍ではなく、時代や社会背景によって異なる文化や精神形成過程の影響を強く受ける。例えば、明治とともに生きた「先生」にとっては、異性より朋友(ほうゆう)を裏切る方がより深刻だったのだろうし、村の偏見を物ともしなかった蝶々さんが夫と信じた人に裏切られたことを知って自刃したのは、男女を一対一の精神的な結びつきであると見る意識を裡(うち)に育てていたからだろう。恥は人間にとって良きものと背中合わせなので、恥の感情を失うということは理想や文化を失うということでもある。つまり、愛や理想を失って生きるよりは死ぬ方がいいと考える人が沢山いるということだ。そうでなければ、己の存在を抹消したいとまで思うには至らないだろう。
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――なぜ、死なずに生きてこられたのかと言われたことがある。些か剣呑(けんのん)な言い方だが、わたしが半生で背負ってきた恥は、通常ひとりの人生にのしかかる負荷ではないと思われたのだろう。自伝的エッセイを書き下ろした際にも、年が離れた友人に、頼むから性暴力を受けた過去については公表しないでくれと言われたことを憶えている。あれは内幸町界隈のごはん屋だっただろうか。まだ原稿を読む前だった。書下ろし中の本のことについて話していて、そう、それであのことについても書いたよ、と日本酒の杯を重ねながら言ったのだった。
仮に、それを読んでなお女性に対する尊敬を揺るがせにしない男性がいたとしても、オレたちの同世代の男たちにはまだまだ偏見がある。と、その人は言った。きっと、その本を読んだ後では君の評論や分析を虚心坦懐(きょしんたんかい)に聞けなくなる。だから、頼むからそれについては書かないでくれ。君が中傷を浴びるのをこれ以上観ているのがつらいんだ。
そう思うんだったら思わせておけばいいじゃない。そうした経験を潜り抜けて出来たわたしというものを、友人として一切恥じていないのであれば、つらさを感じることはないでしょう。
心を許した人に対して、わたしは時に子どものようになるところがあるのかもしれない。ふだん苛烈なまでの人間観察を人にぶつけることは稀だから、理解され通じ合えると思えば手加減というものをしなくなる。その後ほどなく外国へ向かう飛行機の中で、友人はわたしが送った原稿を読み、ごめん、自分が間違っていた、ぜひこれを出版してほしいと書いてきたのだった。その後は数えるほどしか会わなかった。互いに忙しさにかまけ、またコロナの流行もあって会うのが難しかったというのもある。そうやって会う機会もないうちに帰らぬ人になってしまった。それでも、友があの本の原稿を読んで恥や怒りを抱かずにいてくれたことが嬉しい。半生を生きてきて色々なことがあったが、目を引くひとつひとつの出来事よりも、そのような魂に触れる人間関係こそがわたしにとって意味を持つものだった。
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