――そんな思いを受けて、未発表だった詞「愛せよ」に曲をつけたご感想は?
僕が曲を作るというお話を聞いたときは、迷いもありました。もしかしたらご自身が出したくないから残したのかなっていうこともあると思いますし。
ただ、阿久さん直筆の歌詞の原稿を見せていただいた時に、書き直しがないことに気付いて。恐らく清書を確実にしていて、書き損じたら最初から書き直しているんじゃないかなと考えたんです。あくまで僕が推察しているだけですけど、阿久さんはちゃんと意思を持って残していると感じたんです。そこで決心がつきました。
阿久さんの手書きの文字からは、単純に文字だけじゃない情報量を感じる部分がありました。直筆の歌詞にこだわられた方だったようで、場合によっては仕事場まで作曲家やスタッフに取りに来てもらっていたと伺ったんですね。阿久さんは、それくらい自分が作った熱量を伝えたいという気持ちが強い方だと思ったんです。
曲作りをする際には、その原稿をお借りしたんですが、やっぱり何かすごくプレッシャーを感じましたね。原稿を机に置いた状態でコーヒーとか飲めないなみたいな(笑)。
曲のアレンジで参加している亀田誠治さんも、雑談などから曲への思いをくみ取ってくださる方で。なので、この番組がどういういきさつで進んでいるのかや、僕がそこからどう感じたかなんていうことを、すごく長く書いて送って、アレンジに生かしていただきました。
歌唱していただいた山本彩さんはアイドルなんですが、一方でシンガーソングライターとしてご自身でも曲を作っている方です。
アイドルって世の中のいろんな気持ちを受け止めて、自分でも発信をしたり、すごく大変なところに置かれている存在だと思うんです。
山本さんは、今の時代の真ん中を生きている人だなと感じていて、だからこそ阿久さんの歌を歌っていただく人にふさわしいんじゃないかなと思い、今回僕から提案させていただきました。
もちろん、阿久さんと同じ時代を生きた方に歌っていただいても素晴らしいものになるとは思うんですけど。今の時代を、山本さんには背負っていただいたというか。素晴らしく真っすぐに歌っていただいて、本当にお願いして良かったなと思いましたね。
――その経験はどのような糧になったと感じますか?
音楽やってて良かったなと思いました。もう亡くなった方とやりとりをできるのは、音楽でしかできないことだと思うので。これがスポーツだったら無理じゃないですか?(笑) 不思議なんですけど、歌詞自体の独特なリズムだったり、そういうものから感じるものもありました。
リアルタイムでそこに阿久さんがいるかのように感じたりもして、すごくうれしかったですね。
――番組の収録前と後で、阿久さんの印象は変わりましたか?
以前は、半分歴史上の人物のような遠い存在だったんです。でもいろいろな方からお話を聞いて、人間として、普通に僕らと同じように壁を感じていらした人なんだなと近くに感じることができました。
それと、阿久さんの歌は、いろんな人に届いたとおもうんですけど、かといって自分がないかというとそうではなくて、阿久さんの思いがかなり色濃く残っていたんです。
僕自身「いきものがかり」は、なるべく自分の色が入らないように、器のように中を空洞にして皆さんに感情を入れていただくっていう歌を作ってきたんですが、一方で、全く自分という存在がなくなると、ちゃんと届かなくなるのかもしれないなという気持ちが元々あって、自分自身をしっかりと持って多くの人に歌を届ける上ですごく大事なことなんだなと思いましたね。
――「ここは見てほしい!」というポイントはどんなところでしょうか?
どうしても亡くなった方で偉大な作詞家を取り上げると、その偉大さを誇張してしまったりすることもあるんですが、すごくフラットに、阿久悠という作詞家がこういう人だったということを取り上げた番組になったと思うんですね。
ヒットから遠のいていった80年代に阿久さんがどのように考えたのかということとかを、僕なりに向き合ってみたので、今までにあまり見たことがないような阿久さんの姿を見られるじゃないかと思いますね。
それと、糸井(重里)さんや小西(良太郎)さんが厳しいことを言ったり(笑)。そんなところも見どころです。
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