アイドル、ミュージカル、ロックバンド、クラシック… 圧倒的な歌唱力で挑戦し続けた本田美奈子.さんの軌跡と魅力に迫る

2024/11/06 10:00 配信

映画 音楽

「本田美奈子. ライブ 命をあげよう」※提供画像

「1986年のマリリン」などで注目を集め、80年代を代表するアイドルとして知られる本田美奈子.さん。CS放送「衛星劇場」では、11月9日(土)昼5時より迫力あるパワフルな歌声で多くの人を魅了した本田美奈子.さんのライブ映像や出演映画を放送する。本記事では、経歴や魅力をひも解きながら、ライブ映像などの作品を紹介していく。

ミュージカルにクラシック…アイドル歌手にとどまらない活動で一世を風び


1985年に「殺意のバカンス」でデビューした本田さん。1980年代といえばおニャン子クラブや浅香唯、南野陽子に斉藤由貴らが台頭する“アイドル全盛期”であり、彼女たちの中には同時にグラビアアイドルやバラエティータレントもこなすなど、マルチに活躍する人材が豊富だった。

そんな中、もともと演歌歌手志望で歌唱に対する思いが強く、地道なトレーニングを積み重ねてきた本田さん。1986年2月にリリースされた5枚目のシングル「1986年のマリリン」は、作詞に秋元康を起用したことも相まって大ヒット。本物志向の歌唱力と抜群のスタイルをアピールする衣装を特徴に、同楽曲は「ザ・ベストテン」(TBS系)で2位を記録した。

歌手としての印象が強い本田さんだが、ミュージカル俳優としても精力的に活動。1992年のミュージカル「ミス・サイゴン」では、1万2000人近い応募者の中から主役のキム役に選ばれ、「第30回ゴールデン・アロー賞」演劇部門新人賞を受賞している。以降も、「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ役や「屋根の上のバイオリン弾き」のホーデル役、「王様と私」のタプチム役など、さまざまな作品で主要キャラを好演。圧倒的な歌唱力と演技力でミュージカル界でも高い評価を得ることとなったが、その根底にあるのは彼女の“努力家な性格”も大きく関係しているだろう。

その後、ミュージカルでの経験を経て、クラシックの分野にも参入。2003年に全編がクラシックで構成されたアルバム『AVE MARIA』をリリースし、逝去する約3週間前に発表した「アメイジング・グレイス」(2005年)が彼女の最後の作品となった。

幅広いジャンルの音楽に前衛的 本田美奈子.さんの魅力とは


38年という短すぎる生涯の中で、大半を音楽活動に捧げてきた本田さん。アイドルソング、ミュージカル、クラシックと、さまざまなジャンルに挑戦してきたが、当時の女性ソロアーティストとしてはかなり珍しい“海外アーティストとの交流”や“ロックバンド活動”にも精を出していた。

1986年にはゲイリー・ムーアから楽曲提供を受けた「the Cross -愛の十字架-」を、1987年にはブライアン・メイ(クイーン)プロデュースの楽曲「CRAZY NIGHTS / GOLDEN DAYS」をリリース。自身のサードアルバム『CANCEL』制作のためにロンドンへ渡り、ブライアンと打ち合わせをしたりアルバムの録音を行っている。

さらに、本田さんはこの滞在中にクイーンのドイツ・マンハイム公演にも招待されており、大きな影響を受けたそう。実際に、とあるインタビューでは「クイーンのライブの魅力は、自分が今持っている力を全て出しきるっていうところにあると思います」「演奏してみんなで一つになって、全ての力を出しきって、このまま死んでもいいっていうくらいの勢いとエネルギーを感じるステージでした」などと語っていた。

その影響もあってか、本田さんは1988年に自身を中心としたロックバンド「MINAKO with WILD CATS」を結成。それまでのアイドルソングのイメージを一気に覆すような過激な歌詞が特徴の「あなたと、熱帯」をファーストシングルとしてリリースし、新境地を開拓。作詞は松本隆、作曲は忌野清志郎さんというビッグネームからの提供にふさわしく、“脱アイドル”や“本物志向”に懸ける彼女の本気が伝わってくる活動となった。

このように、女性アイドル全盛期だった1980年代の中で本田さんが築いたポジションは当時唯一無二で、“自分がしたいこと”を突き詰めて挑戦し続けたアーティストと言える。アイドルグループ・アンジュルムの元メンバー・田村芽実や、ミュージカル俳優の昆夏美も本田さんを“憧れの人”と挙げていたりと、彼女の魂は今なおしっかりと受け継がれている。