国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏によるエッセイ「男と女のあいだ」。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆきます。連載第9回は、恋愛した末に結婚した場合、相手に添い遂げられるのか、三浦氏の見解をお届けします。
恋愛結婚が主流となり、自己の決定以外の必然性が拭い去られた結果として、現代人は恋愛結婚の持続可能性と正面から向き合わされることになった。
言うまでもなく、純然たる恋愛結婚が登場したのはごく最近に過ぎない。結婚は長らく機能的なものだった。家事を担い、子どもを産み育て、家格を維持し、求められている役割を果たすことが、夫による妻の立場の尊重と釣り合っていれば、良い結婚だと見なされただろう。生きるために他所で働く選択の余地は少なかったし、正妻という立場は、それほど機能的なものだったのだから。
ところが、恋愛結婚はその前提を壊す。初めの結びつきが、親の言いつけでも誰かに強制されたものでもなく自由意思に基づいていたという前提がある以上、「この人」を選んだことへの必然性に答え続けなければいけないからだ。共白髪となり二人で作り上げた家族や家を眺めて来し方を思い、互いをねぎらって感慨に浸るためには、過ごしてきた時間がどのようなものであったかということによって、己の決定の正しさを補強しなければならない。
恋愛が終わっても、両者が良い関係にあれば愛着や尊敬は残る。それでも、別の恋愛が生じれば別れる理由の一つにはなるだろう。子どもがいたとしても、育児や教育方針をめぐってつれあいと揉めることはある。結婚と離婚を繰り返すハリウッド女優のようにとまではいかずとも、経済的に自立した女性にとって離婚は十分にありうる選択肢となっている。現に、日本の20代から30代の結婚経験者の離婚率は他の年代のそれと比べるとだいぶ高い。
最近では、「3組に1組が離婚する」というような形で熟年離婚の危機が論じられることが多い。それを聞くと、本当に周りの夫婦の3組に1組が定年後に離婚しているのだろうと思いがちである。ただ、これは日本の高齢者に比して若者の人口が少なく、非婚化や晩婚化が進んで人口当たりの結婚率が低いことによる統計的なマジックでしかない。さすがに熟年離婚はそこまで一般的ではない。熟年離婚自体はたしかに昔よりも増えてはいるが、離婚率がより高いのは、男女同権が常識になり定着した世代なのである。
異性を求める気持ちが世代によって変わるとは思われない。結婚しなくても生きていける人が多い以上、上がっているのは結婚というもの自体のハードルだ。そう考えると、恋愛結婚が危機に瀕している理由は、出会いの場が少ないとかキャリアが忙しいというだけではなくて、そもそも互いに対等な個人が自尊感情を維持できるような関係性の構築が難しいというところに原因を求めることができるだろう。
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