五十嵐亮太、“大先輩”を待たせる痛恨の遅刻… 川崎憲次郎は落合博満から開幕投手抜擢の裏側を語る<ダグアウト!!!>

2024/11/14 12:00 配信

バラエティー 動画 レビュー

五十嵐亮太、痛恨の遅刻も笑いに変える“愛され力”※提供画像

11月7日(木)に放送された野球トークバラエティ「ダグアウト!!!」(毎週木曜夜10:00-11:00、BSJapanext<263ch>)。今回はシュートを武器に黄金時代の東京ヤクルトスワローズを支えた名投手・川崎憲次郎が初登場する。そしてもう1人のゲストはこれまで何度も同番組に出演し、もはや“ダグアウト!!!ファミリー”と言っても過言ではない五十嵐亮太。少し天然な川崎とノリノリな五十嵐がナイスコンビっぷりを披露し、スタジオは大いに盛り上がった。

遅れて到着…本人不在でも話題をかっさらうあの男


MCを務める上重聡の「今回もみなさんよろしくお願いします」という掛け声で始まった同番組。しかし、川崎の横の席がひとつ空いている。異変に気づいたMCのますだおかだ岡田圭右がそれに触れると、上重によってゲストが遅刻していることが告げられた。

「誰?」岡田が尋ねると「もうレギュラーとも言っていい、五十嵐亮太さんです」と遅刻しているゲストの名前が明らかに。番組に何度も出ている五十嵐が遅刻していることを知った岡田は「もうこれや」と、両手をグーにして“天狗”の真似をして「ほんとアカン」とイジり始める。

川崎もそのイジりに乗っかり、「昔から」と言って笑いを誘う。「これはもう1番あかんパターンやわ」という岡田に、川崎は苦笑い。実力がものを言うプロ野球選手は天狗でも成績を残していたら良いが、「芸能界で天狗なったらもうあかんで」「みんなに言いふらそう」と岡田が畳み掛けた。

五十嵐の遅刻をいじったあとは、もう1人のゲスト・川崎の紹介へ。川崎は1988年にドラフト1位でヤクルトに入団。その後中日ドラゴンズへ移籍した。沢村賞や最多勝、日本シリーズMVPなどの受賞経験を持っている。

五十嵐よりもひとまわり近く年上の川崎。そんな大先輩の川崎を待たせている五十嵐について、岡田から現役時代の食事会などで後輩が遅れてくることはあるのかと問われた川崎は「もうありえない!」と語気を強める。後輩は普通、30分前に用意をしているという。

愛あるイジリで盛り上がっていると、ようやく五十嵐が到着。大汗をかいて苦笑いのような表情を浮かべる五十嵐が、「本当申し訳ないです」「すみません」と言って気まずそうに合流した。

川崎という“大先輩”を待たせてしまった五十嵐は、「先輩すみません」と深々とお辞儀。「遅刻した場合は謝るべきです」と当たり前のことを重々しく言った五十嵐に、スタジオは笑いに包まれる。ちなみに遅刻をした理由について聞かれた五十嵐は、大谷選手が50-50を達成したことでテレビの撮影に呼ばれていたと事情を明かす。

しかしそこからの移動で道が混んでいたことに加えて「おばあちゃんがなんか重いもの持ってたんです」と苦しすぎる言い訳をする五十嵐。明らかな冗談に、岡田から「映画のワンシーンみたいに言うな!」と鋭いツッコミが。

大汗をかいていることを利用して「この汗ですよ」「おばあちゃんを背負ってきた!」と言ってストーリーを語る五十嵐だが、最後にはスタジオ全体を見渡しながら「すみませんみなさん」「トークで巻き返しますから」「バーン行きますから!」と意気込みを見せた。

「自分しかいないでしょ」川崎が選ぶ開幕投手


遅刻ハイになっている五十嵐で盛り上がったあとは、最初のコーナー「俺のベストローテ」へ。この企画は今回から始まった新コーナーで、自分をメンバーに入れて“一緒にプレーしたい投手”を選んでもらう。選出できるのは、自身が現役時代にプレーしていた投手のみという縛りがある。

川崎はローテ1枚目、いわゆる“開幕投手”に自分の名前を挙げた。「自分しかいないでしょ」「ここにふさわしい人間は」と語気を強める川崎。その前のめりなようすを見た五十嵐は、「どうしたんスか急に」と半笑いだ。

「いらんチャチャを入れるな」と言われると「乗り切れてなかったじゃないですか!」と対抗する五十嵐。「びっくりしてたじゃないですか岡田さん」と痛いところを突かれた岡田が「俺を巻き込むな」とツッコミ、改めて笑いが起きていた。

ちなみに川崎は開幕投手をヤクルト時代とドラゴンズ時代に2回経験している。ドラゴンズ時代に川崎が開幕投手になったときには、プロ野球界がある意味ザワついたという。

中日に移籍後すぐに右肩を負傷してしまった川崎は、3年間出場機会がなかった。そんな川崎を開幕投手に抜擢したのは、当時中日の監督をしていた落合博満。川崎は落合が監督として就任した初年度に開幕投手となった。

2004年1月3日に落合から電話がかかってきた、と大抜擢の日を振り返る川崎。最初はお正月の挨拶かと思ったようだが、監督からそのような連絡は普通考えられない。また川崎はそれまで落合と深い付き合いもなかったため、お正月にいきなり電話で「2004年の開幕投手はお前でいくからな」と言われたときはひどく驚いたという。

ドラゴンズで実働したのはオープン戦の数試合だけだった川崎。右肩を負傷してからは3年間の空白期間が空いてしまっていた。投げるのは不可能ではないが、勝てるピッチャーかと言われたらそうは言いきれない状態。当時は山本昌川上憲伸、野口茂樹の誰かが開幕投手を務めると思われていた中で、川崎の大抜擢だった。

今になって振り返ると、これは落合が「川崎を引退させるタイミングはどこがふさわしいか」を考えた結果、開幕戦になったのだとか。花道を用意するための開幕投手だったというわけだ。引退への花道を考えると、あまり勝敗に関係のない場面が望ましい。怪我をしているピッチャーとしてのモチベーションを上げるという目的もあり、“開幕投手への抜擢”が選ばれたという。

ちなみに川崎は1月3日に落合から電話を受け取ってから約3カ月間、自分が開幕投手に選ばれたことを誰にも言ってはいけなかった。そのため、ロッカールームにて選手同士で開幕投手の話になったときのことを「もうね、生きた心地しない」と振り返る。

山本が「おい!開幕誰や!」「憲伸お前か?野口お前か?」「え!?じゃあだれだよ!」と言っていた場面に遭遇してしまった川崎。「憲次郎お前か?」と聞かれたこともあったという。「そんなわけないじゃないですか」などと言ってチームメイトが捌けた瞬間、トイレに駆け込んで身を潜めていたという衝撃のエピソードを披露してくれた。