――今大変な時間を過ごされていると思いますが、逃げ出したくなるときはないですか?
毎日です。もう毎日、毎回逃げたくなることばかりです。だって、怖いじゃないですか。力量もないのに「大喜利の天才」だなんて持ち上げられて。でも、そこで踏みとどまったおかげでメンタルはエグいくらい強くなりましたね。昔の私では考えられないくらい。
豆腐メンタルはそのままですけど、昔と違って向き合うようにはなれたんです。部活では先輩とうまくいかなくて、クラスではハブられたから、もう学校行かないとか。逃げてばかりだったけど、もう今は向き合わないと。やるしかない。やるしかないっていうより、やらなきゃやられるって、そういう一心でやっています。
――折々の番組で、AKB48のときは言い訳で逃げていたと言っていましたね。
コロナ禍を言い訳に、売れないことを正当化している部分はあったなって思います。かといって、あのときがむしゃらにやっていてどうなったか分からないですけど、もっとやれたことはあったんじゃないかって、今になって思う後悔はあります。
――そのときの後悔も今の頑張りにつながっている?
んん…。というより、頑張るしかないんですよ。私、全然仕事がなかったところをマネジャーさんに拾ってもらったし、ある程度好きなこともやらせてもらっている手前、頑張って返さないと。家族も喜んでくれるし、応援してくれるたくさんのファンの方もできたし。なんで頑張れるのかといったら、周りの人のためですね。
――頑張っていく中で、自分のポリシーはありますか?
私を大事にしてくれる人を、私も大事にする。ポリシーとして持つよりも、自然にそれができる人間になりたいです。スタッフさんへの接し方もそうだし、おこがましい言い方ですけど、ファンサービスも。
さっき印象に残った方の話をしましたけど、売れている方ってみんないい人ばかりなんですよ。横柄な方って見かけなくて、そこで分かれるんだろうなって思います。そういう人たちの背中を見て、「私も」ってすごく思うようになりましたね。
――テレビ出演、ラジオパーソナリティー、コラム連載、写真集発売と初めて尽くしの20歳だったと思います。10月22日で21歳になりましたが、次の1年はどんな年にしたいですか?
少しでも今の状態を継続できるように、地に足をつけて頑張りたいです。今が楽しいので、これをこぼさないように、少しでも来年にも注ぎたいなと思います。これは本当にそう思っていて、逃げたいことも多いけど、やっぱり楽しいです。嬉しい言葉をかけてもらえるとやりがいが湧くし、誰かに褒められるのは嬉しいです。
――先日は生誕祭もありましたね。これも初めての開催ですが、どうでしたか?
あのイベントは生誕祭というよりも、私からファンの皆さんに日頃の感謝を伝える場所にしたくて、ただただ皆さんに楽しんでもらえる企画を第一にしたんです。手作り感で作りたいなと思って、だから50人規模の小さい会場にして。
たくさんの「ありがとう」を伝えて終えたんですけど、やっぱりみんな優しいから、プレゼントやお手紙を山ほどいただいてしまって。その日の夜は手紙を読みながら大号泣です(笑)。「福留さんのおかげで自分の人生に色がつきました」みたいなことも書いてあって、そうしたら頑張らなきゃって思いますね。
ファンの方は私の支えだし、それに対して返していきたい。私、共依存タイプなんですよ。お互いがいて生きていける関係になりたいなって思います。そういうところだけアイドルマインドだから、意味分かんないですよね(笑)。
――今年はタレントさん定番のカレンダーも発売されました。
現実感がないですね。カレンダーを出せるなんて思ったこともなかったし、めくってもめくっても自分しか出てこないのって嬉しいですね。今回は卓上カレンダーなので、2025年はこれを机に置いて、自分と共に過ごそうかな。2月に三つ編みのカットがあって、私はそれが一番お気に入りの写真です。でも、ファンの皆さん的には水着がいいのかな(笑)。
このカレンダーの写真、「尼崎のダイヤモンド」(デジタル写真集/集英社)のときに撮影してくださった細井幸次郎さんにお願いしたんです。柔らかい雰囲気で撮ってくださるのが大好きで、カレンダーだけど、グラビアっぽい自然体な感じで、福留ちゃん、かわいいな。キモ、私(笑)。
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