それはNHKのお笑い番組「爆笑オンエアバトル」。観覧客が持っているボールを、ネタが面白かった芸人に投票していくのだが、グレートチキンパワーズはボール“ゼロ”に。「玉が転がらない。玉が0個」と北原。
「すぐに情報は流れてきたよ。ゼロキロバトルがあったって」と河本も当時を振りかえる。連日、ドラマの撮影に終われお笑いの腕を磨けていなかったためだがこの影響でお笑いどころか、俳優としての仕事も激変していった。
「その時はグレチキは解散しているの?」と名倉。「はい、2005年に解散しています。僕はドラマをやっているし、相方は他の仕事をやっているし、あんまり会わなくて」と北原。「お笑いができひんもんね」と名倉。「劇場があれば、毎日ネタをする場があればね」と河本も続く。「羨ましかったですね。他の事務所の芸人さんたちが」と北原も呟いた。
その後、デザイン事務所など職を点々とするが「僕、一番どん底のとき(28歳)に結婚したんで、子どもも1歳くらいになった時に東京から足を洗って(芸能界を)やめよう、就職しよう」と決意し地元の兵庫県加古川市へと戻った。
34歳から司法書士事務所に就職して事務員として働くがそこも経営の事情でリストラにあう。
「やってもやっても職が手につけへんな」と河本。「もう行かな、と思ってハローワークに。次こそ終の仕事を、一生やる仕事やと思って、ムチャクチャ文字、履歴書につめたんです。で、ハローワークのおっちゃんに『これどうですか?添削してください』って言ったら、おっちゃんが『これじゃあ、どっこも通らんな』って言われたんです。
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