ジャスティン・ビーバー専属ワールドツアーダンサー・Yusuke Nakaiが実践する「自分のマニュアル」作り

2017/11/28 19:00 配信

芸能一般 インタビュー

世界でもレベルの高い日本のダンスシーンにおいて、海外のイベントに呼ばれたり、コンテストで活躍するダンサーは増えたが、ダンスシーンの本場であるアメリカを拠点にして輝かしい実績を残しているダンサーは意外に少ない。今回、Dance Factでは、ニーヨ(Ne-Yo)、アッシャー(Usher)、ジャスティン・ビーバー(JUSTIN BIEBER)など、世界的有名アーティストのダンサーとして活躍しているYusuke Nakaiにインタビュー! 今回はアメリカに渡米してから有名アーティストのダンサーになるまでの軌跡を語ってもらった。

Yusuke Nakai


アメリカへの憧れが強かったので渡米した


ーー渡米する前はどのようなダンス人生でしたか?

「ダンスを始めたのは小4くらいからなんですけど、もともとは歌志望だったんですよ。なので、始めはジャズとかバレエやって、中2の時に東京のミュージカルの劇団で1年間英才教育を受けてました。今までジャズ、バレエ、モダン、タップ、日本舞踊などたくさんやってきました」

ーーその背景は初めて知りました。高校生の時にアッシャーの影響でダンサーに興味を持ち始めて、ケント・モリとの出会いが渡米のキッカケと聞きましたが、どういうエピソードだったのですか?

「大学生の時にアメリカに短期留学してたんですよ。高い志を持ったような留学じゃなくて、どんなもんかなってくらいの気持ちだったんです。そこで、ダンススタジオのレッスンを友達と受けた時に、先生がサブ(代行)だったんですけど、めちゃくちゃレベル高くて! 知らないダンサーだけど、すごくうまいし、アメリカってすげーなって衝撃を受けました。のちに、このダンサーさんと、ニーヨの時に一緒に踊ることになるなんて思ってもいませんでした(笑)。ケントさんのWSを初めて受けた時もL.A.ってすげぇなって思ってましたけどね。帰国してからケントさんのMVのオーディションとレッスンがあって、レッスンだけ受けて帰ろうと思ったら、オーディションも受けなよって言われて、受けたら合格したのが出会いでしたね」

ーーそれはお互い面識に残りますよね。そこから渡米ですか?

「大学卒業してから渡米する前に半年くらい東京にいたんです。東京のダンサーさんと仲良くなって、東京もみたし、やっぱりアメリカへの憧れが強かったので、渡米しました」

ーーアメリカ生活が始まりましたが、アーティストビザがないからオーディションに受かっても仕事ができなかったと聞いたのですが。

「そんなんばっかでした(笑)。オーディションはおろか仕事自体できないんですよ。アーティストビザで一番大事なのがエージェントに所属することなんですけど、アメリカに着いてから2ヶ月後に今所属しているblocのオーディションがあって、ケントさんにも受けたほうがいいと言われたので受けました。でも、英語できなかったですし、最初はblocってなに?くらいのレベルでしたけどね(笑)」

ーーエージェントのオーディションってなにをするんですか?

「ウォーキング始めて〜って言われて。えっ?歩くんですか?みたいな(笑)。でも、面白かったのは振付始めますってなった時にアッシャーの曲だったんですよ。憧れのアーティストだからテンションも上がるし、何か運命的なものも感じたんです。審査員の女性の一人がすごくそれを気に入ってくれたみたいで、オーディションは合格しました。ただ、やっぱり英語ができなかったので、合格通知の電話も何言ってるかわからなかったんですけどね。誰ですか?みたいな(笑)」

ーービザとるまで1年2ヶ月くらい期間があったと思うのですが、仕事もできない状態でその間ってどうやって暮らしていたのですか?

「ちゃんとしっかりお金は貯めてから渡米したので(笑)」

ーー聞いといてよかったです(笑)。もしかしたら、全くお金がないまま、海外に行っちゃう子もいるかもしれないので。

「いやいやいや(笑)。ちゃんとそこはしっかり用意してから渡米しました。向こうでバイトしようかなって揺れた時期もありますけど、ここでダンス以外の仕事したら、自分の中で熱が冷めてしまうと思ったので、ダンス一本でしたね。なので、エージェントにはオーディション情報くださいってめっちゃ言ってました」

ーーその後、ニーヨのオーディションに合格しましたが、他にどのくらいオーディションを受けましたか?

「オーディション情報をたくさんもらったわけではないので、そんなに受けてないですね。ニーヨの時は僕の恩師のジャマイカさんというクリエイティブディレクターに気に入ってもらって、色々紹介してもらったのがきっかけです。その頃、エージェントがバックについてくれてビザも取れたので、ニーヨのオーディションに呼んでもらって合格しました」

ーー日本人のダンサーって海外だと、キャラクターとかあるんですか?

「日本人は繊細な部分とか礼儀正しいってイメージがついてるから、僕にとってはありがたかったです。先人の方に感謝ですよね。ただ、逆に日本人だからナメられることもありましたけど、そこは実力でかまして黙らせてましたね。オーディションってスタジオが人でいっぱいになるので、踊ってる時に当たっちゃったりとかするんです。その時、外人に暴言吐かれたりしました。僕も若かったので「なんじゃこいつは! 言うたなお前、覚えとけよ!」みたいな感じでムッとしちゃって(笑)」

ーー映画とかでありそうなシーンですね。

「面白いことに、その暴言を吐いてきたダンサーたちと同じグループになったんですよ。そこでダンスでかますんですけど、あとでそのダンサーたちから「あの子はダンスがうまくてすごいね」って言われたんですよ。ギャフンと言わせました(笑)。」

ーーやはり日本人ならではの見られ方があるんですね。逆にイメージと真逆な日本人とかいるのですか?

「僕がぶっ飛んでるって言われます(笑)。なんでかわからないですけど、クレイジーって言われますね(笑)。自由の国に自由を求めてきたのに、アメリカって結構規則あるんだなっていうのも結構感じました。「あれ?自由じゃないな」みたいな(笑)。ツアーとかで世界各国回りましたけど、どこの国に行っても規則や常識は変わらないですね」

Yusuke Nakai


人が審査するものなので、結局は目に見えない何かが評価される


ーー海外のオーディションで勝つためのコツとかはありますか?

「コツは難しいですね。僕もいろいろ試したんですよ。会場で踊る時の位置とかやれることは試してましたね。でも、こういうのってその人なりのやり方があるので、決まったコツはないと思います。全部試して見たらいいんじゃないですかね。イチローの言葉ですが「一個一個試して見て、ダメな理由を全部把握する」のが一番しっくりくると思います。人によってダメな理由は違うと思うので。」

ーーYUSUKEさんがオーディションに出る時に大切にしていることはありますか?

「ガッツです! めっちゃ困る回答ですよね(笑)」

ーー具体的にガッツってどういうことですか?

「このオーディションに受かるんだ! っていう気持ちだったり、態度だったり、ダンスだったりですね。ファッションも絶対にTシャツ&短パンとかで行かないですし、もうここで勝つんだっていう気持ちが全てに繋がると思います。人が審査するものなので、結局は目に見えない何かが評価されると思ってます。僕は、Tシャツ&短パンでいかないのはKentoさんの本「Dream & Love」を参考にさせてもらいました。是非みなさんにも読んで欲しいと思います」

ーーYUSUKEさんの動画を見ていたら、ファッションがオシャレだなと思いました。海外ではファッションも重要ですか?

「服はもともと好きです。でも、ニーヨとかアッシャーとかジャスティンのオーディションの前に彼らのファッションを真似してたかというとそうでもなくて、一緒に仕事してから、影響を受けることが多かったですね。ジャスティンのツアーでイタリアに行った時に、ご縁があって、原宿ラフォーレのGR8のKuboさんのお力添えでミラノコレクションを最前列で見ることができたんですよ。そのご縁は自分が服好きだということとジャスティンのダンサーをやっていたことから偶然生まれたことだったので、ありがたかったですね」

Yusuke Nakai


1日12時間以上トレーニング ダンスだけに捧げた努力期


ーー次に日本人ダンサーが海外で活躍するためにマストなものを3つ教えてください。

「スキル、個性、華です」

ーー10代や20代前半だと既に自分を見つけてる子もいれば、まだ見つけられずに悩んでいる子もいると思います。Yusukeさんはいつから気づきました?

「僕も現在探し中です(笑)。ダンスももっとうまくなりたいし、他から吸収したいこともあるので、一生かけて見つけていくと思います。なので、年齢は関係ないと思いますね。僕、実はアメリカに行って1ヶ月で挫折を味わったんです。周りのレベルが高すぎてどうしようってなったんですね」

ーーそこからどうやって乗り越えたのですか?

「なんで周りのダンサーはこんなに踊れて、自分は踊れないんだろうってずっと考えてたんです。筋肉?神経?骨格?それとも違う何か?というなんでだろう?を追求していって、自分でトレーニング方法を作りました。世の中にはマニュアルや教科書が存在しますけど、適応する人もいれば、適応しない人もいるんですよ。僕は後者の方でマニュアル通りにいかない側だったので、自分のマニュアルを作るところから始めました。そうなると練習方法も変わってきます。深く話すとかなり長くなってしまうんですけど、ただ筋トレをするんじゃなくて、体がどうなっているのかの追求です。筋肉がつるのを20分放置したり、それを全身やってましたね」

ーーすごく痛そうですね。

「痛くてやばいですよ。でも、2年でダメだったら日本に帰ろうと思ってたので、僕には時間がなかったんです。なので、英語の勉強とかもせずに、全部トレーニングに費やしていて、1日12時間以上やってました。振り返ると自分の努力期でしたね。食う寝るトレーニングの毎日で、1ヶ月くらい家から出なかったとかありました。友達と遊ぶのもいいけど、それって絶対に必要というわけではないですよね。なので、僕は最初の4年くらいはみっちり自分のトレーニングに時間を充ててました」

ーー今もそのトレーニングは続けているのですか?

「今も続けてます。ダンスが言語になったりするんですよ。ここを意識してずっと踊るとか、例えば今日は小指を意識して踊るみたいな。僕はそれを練習じゃなくて本番でやってます。ジャスティンのツアーも小指とか耳とか日によって意識する部分を変えて踊ってました」

ーージャスティン・ビーバーのツアーでソロダンスの時間がありましたが、その時もパーツを意識して踊ってたのですか?

「そうですね。今日はどういう感じで踊ろうかなって考えてました。ダンスって追求していくと言語になってくるんですよ。1から10まで数を頭に入れ込んでいったり、"宇宙"“戦争”“平和”“自分”みたいな感じで。そういうのを思い出しながら踊ってます。ソロ部分と振付があるから二つ考えてますね。筋肉、神経、言語だったり、いろいろ試していくうちにどんどん変わっていくので終わりがないです。ダンスは常に追求ですよ」

Yusuke Nakai


夢のためにうまくなるではなく、うまくなるために夢がある


ーー確かに、有名なダンサーはみなさん体の使い方を追求してますよね。次にダンサーとして心がけていることはありますか?

「"日々勉強"です。僕は"ダンスがうまくなりたい"というのが主なんです。なので、自分に対して厳しくしています。夢のためにうまくなるっていうわけじゃなくて、うまくなるために夢があるという感覚です。最近、コンテストのジャッジとかもやらせて頂くことが多いんですけど、本当はジャッジとか苦手なんですよ(笑)。他人の人生を左右してしまうかもしれないので大変な仕事だと思います。なので、僕自身もやるからには、自分がもっとうまくなるために勉強させてもらうという気持ちでやらせてもらってます。WSで教える時も、何のためにやるのか、どうやったら受けに来てくれた人たちをうまくさせることができるのかを常に考えてますね」

ーー自身がダンサーとして大切にしていることを教えてください。

「僕は最初全然踊れなかったし、パッと売れたダンサーってわけでもないんです。それこそレベル30しかないのにレベル80の場所に来てしまったみたいな(笑)。結局、人を選ぶのは人なので、伝わる何かが必要だと思います。我欲がありすぎてもダメだと思うし、僕はめちゃくちゃあった方なんですけど(笑)。でも、それぐらいアメリカで仕事がしたくて、その熱意を汲み取って採用してくれた方がいました。どちらかというと僕はそういった人たちに育ててもらったんですね。本当に一個一個階段を登って、着実にやって来たのが身になったと思います。見る側からしたら、努力してる人ってすごく響くし伝わるものがあるんですよ。なので、ガッツとか言いましけど、努力や熱い気持ちって大切だと思います」

(撮影●関純一 取材・文●のざたつ)

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