【テレビの開拓者たち / 福岡元啓】「情熱大陸」5代目プロデューサーが語る番組作りの極意と“贈る言葉”

2017/12/10 10:00 配信

芸能一般

さまざまな分野で活躍する人物に密着取材し、その人の素顔や魅力に迫っていくドキュメンタリー「情熱大陸」(TBS系)で、2010年から5代目プロデューサーを務めてきた福岡元啓。1998 年に大阪の毎日放送に入社し、ラジオ局制作部、報道局を経て、2006年に東京支社へ。「情熱大陸」では生放送を行うなど、新たな試みにも取り組んできた福岡Pが番組に寄せてきた思いとは? 12月17日(日)に放送される「情熱大陸20年記念スペシャル」を区切りに、7年間務めてきたプロデューサーを離れることになった彼に、さまざまな話をうかがった。

報道局時代は、取材対象との人間関係の築き方も勉強になりました


ふくおか・もとひろ=1974年生まれ、東京都出身


──福岡さんがテレビマンとして初めて携わった番組は?

「毎日放送に入社して最初に配属されたのが、ラジオ局の制作部だったんです。そこで、『MBSヤングタウン』という、局を代表する番組のスタッフを務めました。それから4年後、報道局に異動になって、報道記者として夕方のニュース番組の10分くらいの企画をやったのが、自分にとって初めてのテレビの仕事でした。それは、神戸で震災復興のライブを行っていたガガガSPというバンドを密着取材するというもので。報道に来たときに、デスクに企画書を20本くらい持っていったんですよ。今思えば、取るに足らない企画ばかりなんですが(笑)、いっぱい提案していく中で、今までの報道記者のポートフォリオにはないものがポンと出てきたんです。そうやって少しずつ自分の色が出てきたというか。従来の報道のジャンルにはない領域で勝負していった感じですね」

──元々「人とは違うことをやりたい」という意識は強かったんでしょうか?

「確かに、そういう意識はありましたね。そもそも、人と同じことをやっても勝てない、というのが前提としてあって。みんなと違うところだったら、自信を持って戦えるかなと」

──報道局時代に学んだことは?

「精神的な部分で勉強になったことは大きかったと思います。何か不測のトラブルがあったときとか、言いがかりを付けられたときとか(笑)、そういう局面で、どうやって自分の正義を主張していくのか、その立ち居振る舞いの仕方を学んだというか。また、報道の取材というのは、内通者に話を聞くことも多いわけですが、そのときにいちばん大事なのは信頼関係なんですね。そういった取材対象との人間関係の築き方も、すごく勉強になりましたね。あと、身に堪えたのは、警察関係者から情報を得るための夜回り(自宅を訪問すること)。夜の8時から深夜2時くらいまで立ちっぱなしで、帰宅するのを待つんですけど、結局空振りで終わる、なんてことがザラにありましたから。そういうときの月夜の住宅街の景色は今でも忘れられません(笑)」

──その後、2006年に東京支社に異動となってバラエティー番組を手掛けることになりますが、ターニングポイントになったお仕事はありますか?

「東京へ来て初めてついた番組が『ランキンの楽園(パラダイス)』(2006~2008年)という番組で、ディレクターが突撃取材をするという内容だったんですね。その中で、僕がどれだけ猛獣に近付けるかっていう体当たり企画があって(笑)。放し飼いの虎の横に寝転んだり、放し飼いのワニがうじゃうじゃいるところに檻に入った状態で下ろされたり、今で言うイモトアヤコさんみたいなことをやってました。報道でも“突撃取材”はやってましたけど、猛獣のロケは、何だか一皮むけた感じでしたね(笑)。

あとは、『ビートたけしのガチバトル』(2010年ほか)という番組で、ビートたけしさんとご一緒できたときは感動しました。やはりテレビで働いている者にとって、たけしさんの存在ってすごくて、誰もが一度はお手合わせしたいと思うタレントさんですからね。打ち合わせをしているときも、震えるような感覚がありました」

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