──そして、2010年からは「情熱大陸」のプロデューサーを務めることになりますが。
「『情熱大陸』の話は何の前触れもなく来ました(笑)。番組もスタートか12、13年経っていて、内容的な部分でも、時代に合わせて少し活性化を図ろうという時期だったので、漠然とではありますけど、いろんなことをやっていかないといけないなと思ったのを覚えています」
──「情熱大陸」といえば、葉加瀬太郎さんのテーマ曲、窪田等さんのナレーションは番組のスタイルとして確立していますが、そういった部分も変えようと?
「着任した当時、周囲から『何をやってもいい』と、それこそ『ナレーターやテーマ曲を変えてもいいんだよ』といった声もあったんですが、僕は、枠組みはなくしちゃいけないと思ったんですよね。『情熱大陸』にとって、窪田さんのナレーションと葉加瀬さんのテーマ曲というのは、番組の大事な“フレーム”。そのフレームを取っ払ってしまうと、今まで積み上げてきたものがなくなってしまう。別の番組になってしまうんです。だから、そのフレームをしっかりと守った上で初めて“何をやってもいい”ということが許される番組だと思うんですよ。ただ逆に、フレームに合ったことだけをやっていると、視聴者に飽きられてしまう、というジレンマもある。ですから『基本を押さえながら、基本じゃないことをやる』ということを意識しました。
そんな考えのもと、この7年間で実験的な企画を年に1、2本やってきたんですが、やはり番組の中に生放送のパートを入れたのは大きかったと思いますね。今までのドキュメンタリーにはなかった試みなので、最初は否定的な意見もありましたが、いざやってみると、『生放送、いいじゃない!』という声が大勢を占めるようになって(笑)。ドキュメンタリーの新しい領域の開拓という意味で、番組の重要なターニングポイントになったのではないかと自負しています」
──その生放送を初めて取り入れた「石巻日日新聞」の回(2011年9月11日放送)と、フリーアナウンサーの小島慶子さんに密着した回(2011年4月3日放送)は、特に大きな反響を呼びました。
「2011年というのは、東日本大震災という未曾有の事態が起きた後、日本全体が“試されていた”時期だったような気がするんですよ。僕らテレビの作り手たちも皆、今どういう番組を世の中に発信できるのかを試されていたと思うんです。そんな中で、僕は『情熱大陸』という番組において、石巻日日新聞と小島慶子さんを紹介することができたのはベストな選択だったと思っています。特に石巻日日新聞は、通常の『情熱大陸』であれば、法人の新聞社を取り上げるということはありえないんですね。それを敢えて取り上げさせていただくことができて、かつ、生中継という演出を入れることもできた。葉加瀬太郎さんにも生演奏という形でご協力いただいて、“今、日本人は何を感じるべきなのか”ということを、ひとつのメッセージとして提示できたことは、とてもよかったと思っています」
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