12月30日(土)昼2時から放送の「奇跡のM-1アフター ~あの日、人生が変わった~」(ABCテレビ)で、コンビ結成15年目のラストイヤーで「M-1グランプリ」王者の称号を獲得したとろサーモンのコメントが到着した。
同番組では、これまでカメラが捉えてこなかった、王者がスターになっていく瞬間に完全密着。とろサーモンが「M-1」に初めて参戦した2003年からの映像を交えながら、輝かしくも泥臭い、そして人間味あふれるシンデレラストーリーを描いていく。
――「M-1」後、環境が激変したかと思いますが…。
村田秀亮:ちょっと前までは、相当しんどかったですけどね。タクシーの中で久保田(かずのぶ)がずっと寝ていたんですけど、1回無呼吸になってるときがありました。そのときは、「アッ! もうこいつ死ぬんや」と思いましたね(笑)。
久保田かずのぶ:優勝してからは、コンビニで疲労回復の薬を10錠ぐらい買って持ち歩いているので、いっときに比べたらましになりました。
――イメージしていた「M-1」王者と、実際になってみてどう違いますか?
村田:思っていた以上の、そのまた上でしたね。ここまで忙しくさせてもらえるんかっていうのと、周りの対応が全然変わりました。みんなが、すごくニコニコしながら寄ってきてくれますね。
久保田:去年の12月のスケジュールを見て、「M-1」取ってからのスケジュールを見て、伝わるかどうか分かりませんが、スケジュールが「太ったなぁ」って思いましたね。
たぶん、宮崎の方って、どういう風に僕らと仕事したらいいのか分からないから、インスタグラムでDMが来るんですよ。この前来てたのは、串間市で芋を海外に流通している方で。
知り合いに聞いたら年収40~50億ぐらいのすごい会社で、DMで「おめでとうございます。尊敬の意味も込めまして、お2人のWEBCMを作りたい。ゆくゆくは、2人の“いもがみさま”の神社を作りたい」と。
僕も性格が腐っているので、吉本を通さんと直で20億ぐらい儲けたろうかと思ったんですけど、考えたら手が震えだしたんでマネージャーに言いました。
でも、その何日か後に吉本のグッズ販売の人たちから、「これ作りたいんです」って、ちっちゃい“いもがみさま”の200円のお守りを差し出されて…。それを作って、「(こっちに)お金入ってくるんかい!」と。
――故郷・宮崎の母校でのロケや凱旋公演はいかがでしたか?
村田:校舎を歩いたりしたら、昔のことがフラッシュバックしてきたんですよ。ほんまにグッとくる場所があって。
久保田を最初にお笑いに誘ったのが、教室のベランダの室外機の横やったんですけど、温風がブーって出るところで「一緒にお笑いやれへん?」って言ったら、即答で「あぁ、ええよ」って言ってきたんです。そのときの記憶もしっかり思い出されましたね。
久保田:できることなら、もう少し早く(母校)に帰ってあげてたらと思いましたね。だって、学生たちは16、17歳なわけでしょ。
僕らが24か25でチャンピオンになってたら、若いし距離感もないし、「頑張ろう」ってなるかもしれないけど、「38歳のおっさんか」って思って見ているやつもいると思うんですよ(笑)。
――故郷でご家族には会われましたか?
村田:親父は別に住んでいるんで、オカンの携帯に親父からメールが来てたんですよ。俺に送ってくれと。「おめでとう。今からが大事や。やっとスタート切って、今から走っていく。最後までゴールができるかは、お前次第や。お父さんは沿道でいつも見守ってるからな」と、なぜか謎の“陸上例え”してましたけど(笑)。
白いビニールのおしぼりくらい、めちゃくちゃ長文が来てたので、こんなメール送ってくるんやってグッときましたね。
久保田:母親から「200万円貸して」というメールがきて、「おめでとう」って先言えやと思ったんですけど。その話をいろんなところでしたら、女性週刊誌に出たんで、母親が「私、何かした!?」って泣いていました。あれは申し訳ないことをしたなと思いましたね。
――賞金の使い道は決まりましたか?
村田:親に送るっているのはありますね。とりあえずオカンが引っ越ししたいと。それと、「車を買ったから借金がまだある。120万円ぐらいいる」と言うんで、ゆとりを見て「150万、送るわ」と言いました。
久保田:僕は、もう仮装通貨で渡してるんで(笑)。親になんぼ渡したらいいんやろなぁ。2つの封筒を出して、「どっちがいい?」みたいな。
一つには300万円、もう一つは0円。こういう戦いを息子はしてきたんだと。もし0円の方を引いたら、親に「M-1」に出てもらうしかないやろね。自分としては、やっぱ時計はほしいなと思ってますね。
男の時計っていったらロレックスとかオメガとか、それが男前って決まってますけど、僕はフェンディで攻めたいと思っています。
渋いでしょ? 俺の時計、フェンディ。今、目星つけてるやつがあるんで。
――優勝してから、お互いに変わったと思うことは?
村田:久保田は楽屋でよく話すようになりましたね。一昔前は、楽屋では全然話さなかったんで、2人きりでおるのが嫌やったんですよ。だから、いつも僕は便所を眺めにいったりしてたんですけどね(笑)
久保田:というのも、楽屋にいるようにしないと仕事にならないんですよ。どうしても求められるのが、僕のクズの失敗談とか体験談。自分で失敗ごとを話すよりも、村田が振って話さないといけないので。
あと、いろんな番組に行くんですけど、「M-1」で優勝する前に僕はピンでいくことが多かったんです。けど、村田はまるっきし状況が変わったので、変わりすぎて、僕が入られへんぐらい、恥ずかしくなるぐらい「めっちゃ話すな~」と思うときもありますね。
――今後、どんな漫才師を目指してますか?
村田:僕は「M-1」という称号をいただいたので、これからも末永く漫才を続けていけるんやっていうのをすごい実感しました。だから、年を重ねても続けている、師匠とかぐらいまでいけたらええなと思いますね。
久保田:ん~、男女コンビって言われたいですね!
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