【テレビの開拓者たち / 蜜谷浩弥】ダウンタウン、桑田佳祐ら、天才たちから学んだ“ゼロからのもの作り”の精神

2018/01/28 07:00 配信

芸能一般

フジテレビに入社後、「笑う犬」シリーズ(1998~2003年)をはじめ、「ネプリーグ」(2003年~)、「井の中のカワズ君」(2005~2006年)など、数多くの人気番組に携わってきた蜜谷浩弥氏。長年にわたりバラエティー畑で仕事をしている彼は、一体どんな風に笑いと向き合いながら番組を作っているのか。また、「桑田佳祐の音楽寅さん」(第2期/2009年)や「ダウンタウンなう」(2015年~)など、“天才”たちとともに番組を作る中で学んだこと、さらに、1月からレギュラー番組として待望の復活を遂げる「ジャンクSPORTS」の見どころも語ってくれた。

お笑いに関して何も知らなかったので、それがずっとコンプレックスでした


みつたに・ひろや=1978年6月24日生まれ、石川県出身


――蜜谷さんはもともと、お笑いに興味があったんでしょうか?

「いえ、子供のころは、お笑い番組は全く見ていませんでした。大学生になってからも、卒業したら官僚になって、いずれ地元に帰って政治家になろうかなと考えていたので、テレビはほとんど見ていなかったんですよ。でも、官僚の試験対策で『民間の企業も受けた方がいいよ』と勧められて。じゃあ一番早く就職試験が行われるところで練習しようと思って、フジテレビのアナウンサー試験を受けたんです。もちろん落ちたんですけど、『アナウンサーより制作が向いてるんじゃない?』と人事の方に言われたことがきっかけで、興味が出てきたんですよね。お笑いには興味はありませんでしたが、そもそも、もの作りというか、ゼロから何かを生み出すことに興味はあったんだと思います」

――入社後、バラエティー班に配属された経緯は?

「学生のころは音楽が好きで曲を作ったりしていたので、音楽番組を志望していたんです。だから、『「HEY! HEY! HEY! (MUSIC CHAMP)」(1994年)に行きたいな』なんて漠然と思っていたら、ある日突然、当時の部長から『おまえがずっとやりたいって言ってたお笑い番組につけてやったぞ』って言われて。僕、お笑いをやりたいなんて一回も言ったことないんですよ。完全に誰かと勘違いしてたんだと思うんですけど(笑)。それで結局、『笑う犬』の制作班に配属になったわけです」

――お笑い番組の制作班ということで、戸惑いはありましたか?

「とにかく周りが全員、根っからのお笑い好きなんです。僕はお笑いに関しては完全に門外漢で、何も知らなかったので、それがずっとコンプレックスでしたね。そこで、ADの仕事の合間を縫って、当時開催されているお笑いライブはできるだけ見に行きましたし、芸人さんの番組はテレビもラジオも全部チェックして。他のお笑い番組の台本を読んで研究したり、『笑っていいとも!』(1982~2014年)の現場にこっそり見学に行ったこともありました。ディレクターになってからも、そういった勉強はしばらく続けてましたね。あと、芸人さんとたくさん会って話をしたり」

――そうして勉強を続けていく中で、気付きや発見はありましたか?

「お笑い番組にも、いろんな形があるんだなということですね。ネタ番組というのは、芸人さんたちが考えてきた面白いことを、視聴者に伝わりやすいものにするために、僕らスタッフが環境を整えてあげる。スタッフワークとしては、スポーツ中継の番組を作るのに近いと思います。一方、コント番組は、ドラマを作るようなイメージですね。スタッフ側が考えて用意した枠組みの中で、演者である芸人さんのアドリブも生かしながら、面白いものにしていく、という」

――ご自分では、どちらが向いていると思われますか?

「どっちも好きなんですけど、最初にADとしてついた番組が『笑う犬』だったこともあって、コント番組を作る楽しさはやっぱり格別だなと思いますね」