大泉の異質さにいち早く気が付いていたのが安田だった。戸次が「いけすかなかったです」と当時を振り返るが、大泉がルパン三世の銭形警部の物まねを精細にしたことから次第に周囲に才能を認められていった。
どうしてこの5人だったのかという問いに、安田は「気が合ったんじゃないですかね。気の合う連中だから5人でいたんだと思います」。森崎も「はみ出した5人」、音尾は「何十人もいる中で5人だけ仲良くなったっていうのは奇跡ですね」と結成当時を懐かしんだ。
中居は「ずっと一緒にやってきてライバルでもありますし、同士でもありますし、たらればじゃないけど、大泉くんじゃなくて例えば安田くんが大泉くんのように最初に東京で活躍してる。そうなってたらまた違ってたでしょうね」と言うと、大泉がすかさず「安田くんは辞めてたでしょうね」と笑いを取っていた。
北海道から東京へ進出する中で葛藤やメンバー同士の嫉妬など一筋縄ではなかったエピソードに、大泉が「東京でお仕事するってなっちゃったときに、僕らでやる演劇のステージっていうのがなんかちょっと名刺代わりなっちゃったことがあったんですよね。
東京で役者をやっていく中で、仕事のプロデューサーだったり監督だったりにそういう人たちが見たときに役をもらわなきゃいけない、という思いがあって、そっからの僕らの演劇づくりがつらかったです」と東京での仕事も順風満帆とはいい難い状況だった。全員を目立たせよう、みんなにおいしいシーンをつくろうとする中で葛藤や嫉妬があったという。
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