「石橋さんが本番前に面白いことを話し始めたら、慌てて止めています(笑)」【「石橋貴明のたいむとんねる」プロデューサー / 関卓也】

2018/05/21 06:00 配信

芸能一般

今年3月、長い歴史に幕を閉じた人気バラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」(1997~2018年フジテレビ系)や、香取慎吾主演の月9ドラマ「薔薇のない花屋」(2008年フジテレビ系)など、数々のヒット作を世に送り出し、現在も、4月からスタートした新番組「石橋貴明のたいむとんねる」(フジテレビ系)などを手掛ける関卓也氏。30年近くにわたり、バラエティーからドラマまで幅広いジャンルの番組に携わってきたテレビマンは今、テレビ界を取り巻く状況をどう見ているのか。お笑い界のビッグスター・とんねるずとの運命的な出会いや、笑いとの向き合い方なども交えながら、番組作りの秘話を語ってもらった。

ドラマ部に異動したら、「深夜で勝手に育ってくれ」と(笑)


せき・たくや=1967年4月2日生まれ、東京都出身


――現在、共同テレビジョンに籍を置く関さんですが、テレビマンとして一番最初に携わった番組は?

「僕は1991年にフジテレビに入社しました。最初に携わったのは、『F1グランプリ』(1987年~フジテレビ系 ※現在フジテレビNEXTで放送中)。もともとはドラマや映画をやりたかったんですが、キャラが薄かったのか(笑)、スポーツ班に配属されたんです。スポーツ自体は決して嫌いではなかったんですけど、自分の中でスポーツの番組を作るということがイメージできなくて。最初のころは、すごく嫌でしたね。ですから当然、仕事も全くできず(笑)。それでも、いろいろ学んでいくうちに面白くなっていって。今では、そのときの体験がすごく役立っているなと実感しています」

――ほかにはどんなスポーツ番組を担当されたのでしょうか。

「海外勤務を経験した後、1996年に帰国してすぐディレクターとして『プロ野球ニュース』(1961~2001年フジテレビ系)に参加しました。巨人と中日がデッドヒートを繰り広げていた年で、長嶋(茂雄)監督の『メイクミラクル』という言葉が話題になったシーズンですね。ただ、僕は8月の末に日本に帰ってきたので、そういった状況が全然分からなくて。各リーグの戦況や注目の選手など、ADに聞きながら番組を作っていました。そんな状況で四苦八苦していたら、翌(1997)年の4月から、『Grade-A』(1997年フジテレビ系)という日曜日のスポーツ番組に参加することになって、そこで初めて、とんねるずのお二人とお仕事をすることに。僕は(木梨)憲武さんの週のディレクターを担当しました」

――その出会いが「みなさんのおかげでした」につながっていくわけですね。

「いえ、とんねるずとのお付き合いはそこでいったん途切れてしまうんですよ。『Grade-A』が始まって数カ月後に、ドラマ部に異動することになって。前々からドラマをやりたいと言っていたので、僕としては希望がようやく叶ったということだったんですけれども」

――ドラマ部では、どんな作品を手掛けたのでしょうか。

「最初は、深夜ドラマしかやらせてもらえなかったんです。当時の上司いわく『おまえを今さらADから鍛えてくれる人は誰もいない。だから、深夜で勝手に育ってくれ』と(笑)。ただ、その言葉はつまり、プロデューサーとディレクターの両方をやっていい、ということでもあったわけです。そんな放牧状態の下で(笑)、『美少女H』(1998~1999年フジテレビ系)などの作品を比較的自由に作りながら、ドラマ作りを学んでいきました。結局、ドラマ部には3年ぐらいいたのかな。その後、バラエティー部に移りました」